山蔭静夫
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山蔭 静夫(やまかげ しずお、1860年(万延元年3月[1][2]) - 1948年(昭和23年)2月22日[3])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]備後国三谿郡矢井村(のち広島県双三郡吉舎村→吉舎町、現・三次市)の米田家に生まれる[1]。のち、安芸国豊田郡竹仁村の山蔭家を継ぐ[1]。農業を営み、竹仁村長、豊田郡農会長、広島県会議員となる[3][4]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島6区から立憲改進党公認で立候補したが落選[5]。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙で立候補したが落選[6]。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では進歩党から立候補して当選した[7]。衆議院議員を3期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補したが落選した[8]。1948年に死去した。
脚注
[編集]- ^ a b c 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、469頁。NDLJP:1278238。
- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』673頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』674頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』470頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』5頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』28頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』33頁。