山那神社 (山那)
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山那神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 愛知県丹羽郡扶桑町山那屋敷地609 |
位置 | 北緯35度22分22.42秒 東経136度54分43.11秒 / 北緯35.3728944度 東経136.9119750度 |
主祭神 | 素盞嗚命 菅原道真 |
社格等 | 村社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 流造 |
山那神社(やなじんじゃ)は、愛知県丹羽郡扶桑町山那にある神社。
歴史
[編集]創建時期は不明。
延喜式内社山那神社、本国帳の従三位山那天神とあるのがこの社であると伝えられる。1872年(明治5年)村社に列格する。1897年(明治30年)天神社を山那神社と改称、1907年(明治40年)供進指定を受ける。1911年(明治44年)11月13日、字大持に鎮座の青木社を合祀した。
当社は江戸時代木曽川の中州に鎮座していたが、1601年(慶長6年)の大洪水で、民家、社寺、田畑ともに流失したため、神社を堤南の末社神明社地内に移した。また洪水の際に本社の神像が葉栗郡の光明寺村まで流され、これを拾得した同村民が天台宗光明寺の境内に祭った。山那の村民はしばしば返還を求めたが、戻ったのは1869年(明治2年)2月8日であったという。このことにちなんで「光明寺流れ」の伝説が生まれた。
祭神
[編集]青木社跡
[編集]山那の龍泉寺の西に須佐之男命を祭った青木社があった。神仏混淆の折、龍泉寺と青木社は一体であったと思われるが、1820年(文政3年)に寺を離れて、明治維新の際に青木社として復旧したと伝えられる。1911年(明治44年)11月13日、山那神社に合祀された。現在跡地は山名保育園となり、園地の一角に石標が建てられている。付近には青木、青木前などの地名が残っている。
天神社跡
[編集]旧社地付近には大鳥居口、御幸道、馬草山、天神山、天神前などの地名があって、天神社が祭られていた頃の地名と推測される。
→「北山名村」も参照