岐南町立東小学校
表示
岐南町立東小学校 | |
---|---|
北緯35度23分14.36秒 東経136度47分59.58秒 / 北緯35.3873222度 東経136.7998833度座標: 北緯35度23分14.36秒 東経136度47分59.58秒 / 北緯35.3873222度 東経136.7998833度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐南町 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121230200010 |
所在地 | 〒501-6004 |
岐阜県羽島郡岐南町野中一丁目99番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐南町立東小学校(ぎなんちょうりつ ひがししょうがっこう)は、岐阜県羽島郡岐南町野中一丁目にある公立小学校。
概要
[編集]- 通学区域は野中1-8丁目、伏屋1-9丁目、伏屋の一部、三宅1丁目の一部、三宅3-9丁目、平島1-9丁目、若宮地1-3丁目である[1]。公立中学校の進学先は岐南町立岐南中学校である。
- 「ことばの教室」(話し言葉や発音に問題がある子供がコミュニケーションに関する個人指導をうける教室)という通級指導教室が設置されている。この教室は羽島郡(岐南町、笠松町)の生徒が利用可能。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 羽栗郡三宅村が惟馨学校、伏屋村が復圭舎、 平島村と米野村(現笠松町)などが共同で下中屋村(現各務原市)に敬恪義校が開設される。
- 1874年(明治7年) - 惟馨学校が復圭舎が統合され、惟馨学校が廃止される。平島村は敬恪義校から離脱し、平島学校を開設する。
- 1876年(明治9年) - 復圭舎を諏訪小学に改称。
- 1878年(明治11年) - 諏訪小学を諏訪小学校に改称。
- 1883年(明治16年) - 平島学校を養正学校に改称。
- 1886年(明治19年) - 養正学校と諏訪学校が合併し、伏屋尋常小学校となる。
- 1888年(明治21年) - 伏屋尋常小学校より平島尋常小学校が分離独立。
- 1894年(明治27年) - 伏屋尋常小学校と平島尋常小学校が合併し、野中村に新築移転。野中村外四ヵ村尋常小学校と改称する。
- 1896年(明治29年) - 羽栗郡と中島郡と合併して羽島郡とる。
- 1897年(明治30年) - 羽島郡野中村、三宅村、伏屋村、若宮地村、平島村が合併し、上羽栗村となる。それにともない、野中村外四ヵ村尋常小学校は上羽栗尋常小学校に改称する。
- 1920年(大正9年) - 高等科を設置し、上羽栗尋常高等小学校に改称する。
- 1921年(大正10年) - 校舎を新築する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 上羽栗国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 上羽栗村立上羽栗小学校に改称する。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 岐南町立東小学校に改称する[3]新しい校章と校歌が制定される。
- 1967年(昭和42年)9月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1970年(昭和45年)5月 - 屋内運動場が完成。
- 1971年(昭和46年)4月 - 校舎を増築。
- 1978年(昭和53年)
- 2月 - 校舎を増築。
- 4月 - 難聴学級を開設する。
- 1980年(昭和55年)8月 - 現在のプールが完成。
- 1982年(昭和57年)4月 - 岐南町立北小学校が開校する。校区のうち、三宅須賀地区(現在の三宅1、2丁目など)を北小学校の校区に分離する。
- 1983年(昭和58年)4月 - 情緒障害特殊学級を開設する。
- 1984年(昭和59年) - 校舎を増築する。
- 1994年(平成6年) - 通級指導教室を2教室開設する。
- 1995年(平成7年) - 知的障害特殊学級を開設する。
- 2000年(平成12年) - 校舎の一部に耐震補強、改築を行う。
- 2023年(令和5年) - 校舎を増築する。
交通機関
[編集]- 岐阜バス岐南町線「岐南町三宅」バス停下車徒歩約20分
- JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)、名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)より「岐南町三宅」行き
学校周辺
[編集]参考文献
[編集]- 岐南町史 通史編 (岐南町 1979年) P.1213 - 1244 1481 - 1482
注釈
[編集]- ^ 既に岐南町への町制施行が決まっていたため、書類上の変更である。
出典
[編集]- ^ 岐南町立小学校就学区域一覧表(羽島郡二町教育委員会)
- ^ 広報ぎなん創刊号(昭和31年10月30日発行)
- ^ 広報ぎなん第7号(昭和32年4月5日発行)