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岡本英太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡本 英太郎おかまと えいたろう
生年月日 1871年9月20日
出生地 淀県島下郡
没年月日 (1953-05-16) 1953年5月16日(81歳没)
出身校 東京帝国大学
称号 従三位勲二等瑞宝章
錦鶏間祗候
親族 渡部信義弟
関屋貞三郎

日本の旗 第25代 農商務次官
在任期間 1922年6月14日 - 1923年12月8日

日本の旗 初代 産業組合中央金庫理事長
在任期間 1923年12月20日 - 1928年12月20日

日本の旗 第20代 特許局長官
在任期間 1923年7月25日 - 1923年8月29日
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岡本 英太郎(おかもと えいたろう、1871年明治4年〉9月20日[1] - 1953年昭和28年〉5月16日[2])は、日本農商務官僚位階従三位勲等勲二等瑞宝章

農商務次官(第25代)、産業組合中央金庫理事長(初代)、特許局長官(第20代)、国際労働総会日本政府代表。錦鶏間祗候

経歴

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大阪府三島郡山田村(現在の吹田市)出身。

岡本家は雄略天皇の御宇、伊射奈岐神社(吹田市山田東)の初代神主・岡本豊足彦を始祖とする1000年以上連綿と続く素封家である。

1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学仏法科を卒業し、同年12月文官高等試験に合格した[3]。農商務省に入り、林務官、山林局事務官書記官、鉱山監督局事務官・書記官、官営八幡製鉄所理事、山林局長、商工局長・戦時保険局長、商務局長、農務局長、農商務次官、兼特許局長官を歴任し、1923年大正12年)12月8日、農商務次官を依願免本官となり退官した[4][5]

退官後は産業組合中央金庫(現農林中央金庫)の創設に尽力し初代理事長を務め、その後さらに養鶏組合中央会会頭に就任した。その他に協調会評議員、中央報徳会理事、産業組合中央会特別会員などを務めた。

1932年(昭和7年)9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[6]

栄典

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位階
勲章

親族

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脚注

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  1. ^ a b 大衆人事録 1930.
  2. ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、179頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、114、179頁。
  5. ^ 『官報』第3391号、大正12年12月11日。
  6. ^ 『官報』第1725号、昭和7年9月28日。
  7. ^ 『官報』第3416号「叙任及辞令」1924年1月15日。
  8. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。