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岡熊嶽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡 熊嶽(おか ゆうがく、宝暦12年(1762年) - 天保4年12月21日1834年1月30日))は江戸時代中期・後期の大坂で活躍した文人画家

名は嬰または文暉、は少年または世昌、は熊嶽・熊岳・餘香堂など。通称を勝之助。

略伝

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大坂の人。池大雅の高弟・福原五岳に師事。このときの同門に林閬苑などがいる。後に諸流派を独自に研究し画風を変え[1]山水図人物図をよくした[2]木村蒹葭堂との交遊が知られ[3]、蒹葭堂13回忌書画展に「春林書屋図」を出品。尾張坂上町に居住[4]し、の栽培で有名。享和から文化年間に挿絵などの作画をしている。享年72。墓は天王寺中町龍泉寺大阪府東大阪市森河内西1丁目)または邦福寺(現・統国寺・大阪市天王寺区茶臼山町1)にある。

子息の琴嶽(寛政4年(1792年) - 天保元年(1830年))も唐絵師として著名となったが父より早く没した。

刊行物(挿図)

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作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
倣林閬苑 唐人物図 絹本著色 1幅 大阪歴史博物館 1797年寛政9年) 款記「丁巳之春熊岳岡文睴 倣閬苑林又新畫」
印章「岡文睴印」白文方印・「岡世昌氏」白文方印
皆川淇園賛。倣ったという林閬苑作品は知られていないが、雲や岩の表現は閬苑に近い[6]
山水図 紙本墨画淡彩金砂子 衝立1面 129.5x156.0 吹田市立博物館 1804年文化元年) 款記「甲子之秋 熊嶽岡嬰写」
「□」「□」朱文半楕円連印・「岡嬰」白文方印
裏面は中井藍江筆「梅鶴図」[7]
山水図 1幅 吹田市立博物館] 1805年(文化2年)
山水図 紙本墨画淡彩 襖4面 各172.0x92.5 個人 1829年文政12年) 款記「己丑嘉平月圖於/壽星樓 熊嶽岡嬰」
「熊」「嶽」朱文楕円連印・「岡嬰」朱文長方印[8]
鐘馗図 紙本墨画 1幅 関西大学図書館
秋山深遠 紙本墨画淡彩 1幅 関西大学図書館
伏見桃花図 絹本著色 1幅 関西大学図書館
龍図 紙本墨画 1幅 関西大学図書館
桃山図 道明寺天満宮 林閬苑の「伏水図」を写しており、同様の作品が関西大学図書館にもある。
飲中八仙図
大坂文人合作扇面 紙本墨画淡彩 木村蒹葭堂ほか

脚注

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  1. ^ 川喜多真一郎編『古今墨蹟鑒定便覧』「画家之部」安政2年(1855年)
  2. ^ 『大阪人物誌 正編』大正15年(1926年)
  3. ^ 兼葭堂日記
  4. ^ 『続浪華郷友録』 文政6年(1823年)
  5. ^ 『原色浮世絵大百科事典』第2巻は文化2年刊行とする。
  6. ^ 岩佐伸一 伊藤紫織 松岡まり江企画・編集『「唐画もんー武禅林閬苑若冲も」展図録』 大阪歴史博物館 千葉市美術館 産経新聞社、2015年9月8日、pp.68、168-169。
  7. ^ 吹田市立博物館編集発行 『市制施行六十周年記念 収蔵品展―受け継がれてきた吹田の文化財―』 2000年10月21日、p.15。
  8. ^ 吹田市立博物館編集発行 『吹田市立博物館開館二〇周年記念 平成二四年度春季特別展 大庄屋中西家名品展』 2012年3月30日、pp.18-19,39-40。

出典

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