岡田陽助
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岡田 陽助 | |
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出生名 | 岡田陽助 |
別名 | 今田 太郎 |
生誕 | 1959年9月25日(65歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
ジャンル | |
職業 | ギタリスト、作曲家 |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1979年 - |
レーベル |
日本コロムビア 1981年 - 1982年 ソリッドレコード 1986年 - 1991年 ポニーキャニオン 1991年 - 1996年 東芝EMI 1997年 - 1999年 ガウスエンタテインメント 2001年 |
事務所 | 近田春夫事務所・SFC音楽出版 |
共同作業者 | 近田春夫・窪田晴男・淡谷三治 |
著名使用楽器 | |
ギブソン L6-S |
岡田 陽助(おかだ ようすけ、1959年9月25日 - )は、日本のギタリスト・作曲家である。元近田春夫&ビブラトーンズ、元ビブラストーン、そしてMEN'S 5のギタリストとして知られる。MEN'S 5では、今田 太郎(こんだ たろう)と名乗る。
人物・来歴
[編集]1959年(昭和34年)9月25日、東京都に生まれる[1]。
1979年(昭和54年)、窪田晴男、福岡ユタカらと人種熱を結成する。1981年(昭和56年)、人種熱が発展的に解消し、近田春夫&ビブラトーンズとなる。翌1982年(昭和57年)、近田春夫がプロデュースした平山みきのアルバム『鬼ヶ島』(Invitation)に楽曲提供する。1984年(昭和59年)1月、ビブラトーンズは解散する[2]。
1986年(昭和61年)、元ジューシィ・フルーツのベーシスト沖山優司のソロアルバム『HAKONIWA』(ソリッドレコード)のレコーディングに参加する。
1988年(昭和63年)、近田春夫&ビブラストーン(のちのビブラストーン)の結成に参加する[3]。翌1989年(平成元年)、ビブラストーンのテナー・サクソフォーン奏者の佐藤公彦(淡谷三治)らとコミックバンド「MEN'S 5」を結成、今田太郎と名乗る[1]。1993年(平成5年)、電気グルーヴのアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』(キューンレコード)のレコーディングに参加する。ビブラストーンは1996年(平成8年)、活動を停止した[3]。
2014年(平成26年)、MEN'S 5は結成25周年を迎えた[1]。
ディスコグラフィ
[編集]→詳細は「近田春夫&ビブラトーンズ」を参照
→詳細は「ビブラストーン」を参照
→詳細は「MEN'S 5」を参照
おもな楽曲提供
[編集]- 平山みき『蜃気楼の街』『電子レンジ』 (いずれも作詞近田春夫、編曲窪田晴男) - アルバム『鬼ヶ島』(1982年)
- 桐島かれん『私は私』 (作詞桐島かれん) - アルバム『ディスコ桐島』(1991年)
- ビブラストーン『TVドラマはすべて現実?』 (作詞作曲佐藤公彦・岡田陽助) - シングル (1993年)
- 和久井映見『愛しさのある場所』 (作詞戸沢暢美) - アルバム『愛しさのある場所』(1994年)
- MEN'S 5『“ヘーコキ”ましたね』(作詞淡谷三治、作曲淡谷 'n 太郎 盆帆) - シングル(1994年)
- 副編ブラザーズ『アニメ雑誌の編集は3日やったらやめられない』 (作詞小林治) - シングル (1995年)
脚注
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- MEN'S 5 - MEN'S 5公式サイト
- MEN'S 5 - Yahoo! ミュージック(ウェイバックマシン)