岡部勇作
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岡部勇作 おかべ ゆうさく | |
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生年月日 | 1859年 |
出生地 | 日本 能登国羽咋郡荻谷村(現石川県羽咋郡宝達志水町) |
没年月日 | 1899年3月24日 |
出身校 | 金沢市変則中学校 |
前職 | 石川県製糸試験員 |
在任期間 | 1897年9月29日 - 1899年3月24日 |
羽咋郡会議員 | |
樋川村会議員 |
岡部 勇作(おかべ ゆうさく、1859年(安政6年4月[1][2])- 1899年(明治32年)3月24日[2][3])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]岡部直造の長男として、能登国羽咋郡荻谷村(石川県羽咋郡樋川村、志雄村、志雄町を経て現宝達志水町)に生まれる[1]。岡部忠澄の後胤[1]。7歳にして同郡白瀬村(北邑知村、邑知村、邑知町、羽咋町を経て現羽咋市)の私塾に入り、14歳で金沢市変則中学校に入り、また藤田維正に漢籍を学んだ[4]。
1893年(明治26年)石川殖産会会員となり、ついで同県製糸試験員に任じた[4]。ほか、樋川村会議員、羽咋郡会議員[2]、石川県会議員、所得税調査委員、義倉会議員、衛生会議員、学校商議会員などを歴任した[5]。
1897年(明治30年)石川県多額納税者として貴族院議員に互選され[2]、同年9月29日に就任したが[6]、在任中に死去した[3][7]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 広田三郎『実業人傑伝 第5巻』実業人傑伝編輯所、1898年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。