岡野寛
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岡野 寛(おかの かん[1]、1845年2月16日(弘化2年1月10日[2])- 1900年(明治33年)2月19日[1][2][3])は、明治期の弁護士、政治家。衆議院議員。旧姓・長竿。
経歴
[編集]常陸国河内郡長竿村(新治県河内郡長竿村、茨城県[1]河内郡長竿村、稲敷郡長竿村[2]、瑞穂村、長竿村、河内村長竿[2]を経て現河内町長竿)の長竿家に生まれ[2]、農業・酒造家の岡野家の養子となる[2]。坂本良輔に漢学を、桑原竹処に法律学を学んだ[2]。その後上京して福沢諭吉の塾で学んだ[1]。
代言人試験に合格し[2] 水戸で開業[2]。1886年(明治19年)茨城県会議員に選出され1892年(明治25年)まで在任[2]。この間、第8代副議長を務めた[2]。
1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(茨城県第6区、憲政党)で当選し[4]、衆議院議員に1期在任した[1]。議員在任中の1900年2月に死去した[5]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(茨城県第6区、1890年7月、立憲改進党)落選[6]
- 第4回衆議院議員総選挙(茨城県第6区、1894年9月、立憲改進党)次点落選[4]
- 第5回衆議院議員総選挙(茨城県第6区、1898年3月、進歩党)次点落選[4]
- 第6回衆議院議員総選挙(茨城県第6区、1898年8月、憲政党)当選[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 茨城県議会史編さん委員会編『茨城県議会史 第1巻』茨城県議会、1962年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。