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河内町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かわちまち ウィキデータを編集
河内町
河内町旗 河内町章
河内町旗 河内町章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
稲敷郡
市町村コード 08447-6
法人番号 1000020084476 ウィキデータを編集
面積 44.30km2
総人口 7,393[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 167人/km2
隣接自治体 龍ケ崎市稲敷市北相馬郡利根町
千葉県成田市印旛郡栄町香取郡神崎町
町の木 ケヤキ
町の花 アジサイ
町の鳥 ヒバリ
河内町役場
町長 野澤良治
所在地 300-1392
茨城県稲敷郡河内町源清田1183
北緯35度53分05秒 東経140度14分40秒 / 北緯35.88475度 東経140.2445度 / 35.88475; 140.2445座標: 北緯35度53分05秒 東経140度14分40秒 / 北緯35.88475度 東経140.2445度 / 35.88475; 140.2445
河内町役場(茨城県)
外部リンク 公式ウェブサイト

河内町位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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河内町(かわちまち)は、茨城県の県南地域、稲敷郡にある東京都市圏(東京通勤圏)。

成田国際空港株式会社から成田国際空港周辺対策交付金を受け取る自治体だが[1]、成田空港圏自治体連絡協議会を構成する自治体には含まれていない[2]

地理

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茨城県の南端に位置し、利根川新利根川に挟まれている。南北2.8 km、東西19.2 km。町内のほぼ全域が、江戸時代以前に干拓された干拓地である。

隣接する自治体

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歴史

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沿革

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行政区域変遷

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  • 変遷の年表
河内町町域の変遷(年表)
月日 現河内町町域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年) 4月1日 町村制施行により、以下の村が発足[3][4]
  • 河内郡
    • 長竿村 ← 長竿村・庄布川村・兵部新田・下町歩
    • 源清田村 ← 源清田村・手栗村・羽子騎村・猿島新田・宮淵鍋子新田・古河林村・平三郎町歩・布鎌町歩
    • 生板村 ← 生板村・幸谷村・生板鍋子新田・大徳鍋子新田・龍ケ崎町歩・小林町歩・角崎町歩
  • 香取郡
    • 金江津村 ← 金江津村・片巻村・平川村・下加納新田・十三間戸村
  • 下埴生郡
    • 豊住村 ← 北羽鳥村・南羽鳥村・竜台村・興津村・安西新田村・田川村・佐野村・長沼村
1896年(明治29年) 4月1日 河内郡が信太郡と合併し稲敷郡が発足。
1897年(明治30年) 4月1日 下埴生郡が印旛郡に編入され、印旛郡豊住村となる。
1899年(明治32年) 4月1日 金江津村が豊住村の一部(田川)を編入。同日金江津村は茨城県稲敷郡に移行し、稲敷郡金江津村となる。
1942年(昭和17年) 8月1日 長竿村と源清田村が合併し瑞穂村が発足。
1949年(昭和24年) 8月1日 瑞穂村の一部(源清田村・手栗村・羽子騎村・猿島新田・宮淵鍋子新田・古河林村・平三郎町歩・布鎌町歩)が分立し源清田村が発足。
1950年(昭和25年) 11月3日 瑞穂村が改称し長竿村となる。
1955年(昭和30年) 5月3日 長竿村・源清田村・生板村が合併し河内村が発足。
1956年(昭和31年) 1月1日 河内村の一部(生板鍋子新田・龍ケ崎町歩の各一部)が千葉県栄町に編入。
1958年(昭和33年) 2月15日 金江津村が河内村に編入。
1966年(昭和41年) 河内村の一部(十三間戸村の一部)が千葉県神崎町に編入。
1973年(昭和48年) 河内村の一部(十三間戸村の一部)が東村に編入。
1996年(平成8年) 6月1日 河内村が町制施行し河内町となる。
  • 変遷表
河内町町域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略)
1868年
以前
明治元年 - 明治22年 明治22年
4月1日
明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
河内郡 長竿村 長竿村 明治29年4月1日
稲敷郡発足
昭和17年8月1日
瑞穂村
昭和25年11月3日
長竿村に改称
昭和30年5月3日
河内村
平成8年6月1日
町制
河内町
庄布川村
兵部新田
下町歩
源清田村 源清田村 昭和24年8月1日
源清田村が分立
手栗村
羽子騎村
猿島新田
宮淵鍋子新田
古河林村
平三郎町歩
布鎌町歩
生板村 生板村 生板村 生板村
幸谷村
生板鍋子新田
明治4年
大徳鍋子新田
龍ケ崎町歩
小林町歩
角崎町歩
香取郡 金江津村 金江津村 明治32年1月1日
稲敷郡に移行
金江津村 金江津村 昭和33年2月15日
河内村に編入
片巻村
平川村
下加納新田
十三間戸村
下埴生郡 田川村 豊住村
の一部
明治32年1月1日
金江津村に編入

旧国界

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明治の大合併で誕生した金江津村(旧金江津村、片巻村、下加納村、平川村、十三間戸村が合併)は元々下総国香取郡だった。明治中期に利根川がほぼ現在の流路に改修され、香取郡は川により分断、北部は千葉県から茨城県に越県し金江津村は稲敷郡に編入された。つまり町内に常陸・下総の国境があった。現在「大境」の地名が名残を伝えている。

人口

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河内町と全国の年齢別人口分布(2005年) 河内町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 河内町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
河内町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 11,720人
1975年(昭和50年) 11,657人
1980年(昭和55年) 11,516人
1985年(昭和60年) 11,284人
1990年(平成2年) 11,201人
1995年(平成7年) 11,726人
2000年(平成12年) 11,502人
2005年(平成17年) 10,959人
2010年(平成22年) 10,172人
2015年(平成27年) 9,168人
2020年(令和2年) 8,231人
総務省統計局 国勢調査より


西隣の北相馬郡利根町と同様、都心回帰や交通の便の悪さの影響により人口は21世紀に入ってから急減傾向にある。2022年2月1日には、五霞町の人口を下回り県内で最も人口の少ない自治体となった。また同年4月1日には、茨城県南地域では利根町に続いて過疎地域に指定された(稲敷市と、かすみがうら市の一部も同時に指定)。

行政

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地域

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教育

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廃校

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交通

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竜ヶ崎駅前に乗り入れる河内町コミュニティーバス
(2009年撮影)

鉄道

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町内に鉄道は通っていない。町内の常総大橋を車や徒歩で渡り、千葉県成田市にあるJR成田線滑河駅を利用するか、町営バスで龍ケ崎市にある関東鉄道竜ヶ崎線竜ヶ崎駅を利用することができる。

道路

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バス

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河内町コミュニティバス
1乗車につき200円。河内町民であれば、利用パスを提示することで100円で乗車できる。70歳以上並びに未就学児は無料。運行は月曜日から土曜日(日曜日、祝日、年末年始は運休)。上り3便、下り4便の合計7運行。龍ケ崎済生会病院 - 河内町東端の十三間戸までの1本のルートが存在する(5便目以降は竜ヶ崎駅発着)。
大利根交通自動車
早井 → 立崎 → 利根ニュータウン西 → しらさぎ団地 → 栄橋 → 戸田井 → 東京芸大前 → 城根 → 取手駅東口(土曜日、日曜日、祝日の午前1本のみ)

かつては大利根交通自動車による取手駅からの反対便や布佐駅を結ぶ路線、千葉交通による京成成田駅と突合(つきあわせ)を結ぶ路線、関東鉄道による竜ヶ崎駅と中金江津を結ぶ路線があったが、いずれも利用者減により廃止された。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事・公園

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郵便局

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  • 金江津郵便局
  • 河内郵便局
  • 生板郵便局

出身有名人

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脚注

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外部リンク

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