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岩宮武二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩宮 武二(いわみや たけじ、1920年(大正9年)1月4日 - 1989年(平成元年)6月26日)は、日本写真家鳥取県米子市出身。

経歴

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叔父(米子写友会の中心的メンバーであった村上誠三)が写真店を経営していたことから、少年期から写真に興味を持つ。

米子商蚕学校(現・鳥取県立米子南高等学校)卒業。阪急百貨店に就職後、プロ野球・南海(現・福岡ソフトバンクホークス)二軍に入るが、まもなく体を壊し退団[1]。商船会社に勤めるかたわら、入会した丹平写真倶楽部で、安井仲治上田備山らと知り合う。

第二次世界大戦での出征を経て、戦後に「岩宮フォトス」を開業しフリーカメラマンとなる。1962年『佐渡』(朝日新聞社)。1966年(昭和41年)、大阪芸術大学教授、写真集『京 Kyoto in KYOTO』で毎日芸術賞受賞。1969年、『宮廷の庭1・2・3』で芸術選奨文部大臣賞受賞。他に『アジアの仏像』など作品集を多数残している。

1975年、『京都の庭』シリーズの写真ネガを預けていた出版社に男が押し入りネガが盗まれた。出版社は岩宮に500万円の賠償金を支払ったが、これを知った男が岩宮を脅迫して賠償金を奪おうと計画。東アジア反日武装戦線名で岩宮に脅迫状を送り付けたが、男は翌年までに警察に捕捉され書類送検された。単独犯であり、過激派などの背後関係は無かった[2]

生誕100年にあたる2020年には回顧展が東京、大阪、出身地の鳥取県米子市で開催された。

主な作品は、大阪府、大阪芸術大学東京都写真美術館鳥取県立博物館米子市美術館などに収蔵されている。

関連人物

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参考文献

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コトバンク”. 朝日新聞社. 2013年7月9日閲覧。

脚注

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  1. ^ 岩宮武二展、略年譜
  2. ^ 写真家恐喝を自供 ネガ盗んだ上に脅迫状『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月23日夕刊、3版、9面