岩屋古墳 (米子市)
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岩屋古墳 | |
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後円部墳丘・石室開口部 | |
別名 | 向山1号墳 |
所属 | 向山古墳群 |
所在地 | 鳥取県米子市淀江町福岡(字向山) |
位置 | 北緯35度27分19.08秒 東経133度26分30.88秒 / 北緯35.4553000度 東経133.4419111度座標: 北緯35度27分19.08秒 東経133度26分30.88秒 / 北緯35.4553000度 東経133.4419111度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長52m 高さ6m(後円部) |
埋葬施設 | 石棺式横穴式石室 |
出土品 | 鉄刀・金銅製馬具・埴輪 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「向山古墳群」に包含 |
地図 |
岩屋古墳(いわやこふん、向山1号墳)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳。形状は前方後円墳。向山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「向山古墳群」のうち)。
概要
[編集]鳥取県西部、淀江平野東部の向山丘陵の北東端に築造された古墳である。1987年(昭和62年)に試掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は後円部では2段築成[2]。墳丘表面では葺石のほか、円筒埴輪・形象埴輪(武人形・馬形・水鳥形埴輪など)が検出されている[3]。墳丘の後円部南東側には台上の造出を有する[3][2]。埋葬施設は後円部における横穴式石室で、南西方に開口する。各壁を一枚石として玄門をくり抜いた石棺式石室である[3]。副葬品としては鉄刀・金銅製馬具が検出されている[3]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[4]。
古墳域は1932年(昭和7年)に国の史跡に指定されている[5]。
遺跡歴
[編集]- 江戸時代中頃までには盗掘および石室開口[3]。
- 1932年(昭和7年)7月23日、「岩屋古墳」として国の史跡に指定[5]。
- 1987年(昭和62年)、試掘調査(淀江町教育委員会、1990年に報告書刊行)[1]。
- 1999年(平成11年)7月13日、既指定の史跡「岩屋古墳」に従来未指定であった古墳13基を追加指定して、史跡指定名称を「向山古墳群」に変更[5]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:52メートル
- 後円部
- 直径:30メートル
- 高さ:6メートル
- 前方部
- 幅:20メートル
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
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造出
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては後円部において横穴式石室が構築されており、南西方に開口する。後室・前室からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:9メートル[2]
- 後室:長さ4メートル、幅2.7メートル、高さ2.6メートル
- 前室:長さ2.5メートル、幅2.1メートル、高さ2.4メートル
石室はいわゆる石棺式石室と称される構造で、後室・前室の各壁は切石1枚により、玄門も一枚石のくり抜きによる[2]。この石室内からは鉄刀・金銅製馬具が検出されている[3]。
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後室
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後室門(奥側)
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後室門(手前側)
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前室門(奥側)
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前室門(手前側)
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出土品
上淀白鳳の丘展示館展示。
関連施設
[編集]- 上淀白鳳の丘展示館(米子市淀江町福岡) - 岩屋古墳の出土品等を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 向山古墳群パンフレット (PDF) (米子市教育委員会)
- 「岩屋古墳」『日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名』平凡社、1992年。ISBN 4582490328。
- 岩田文章「向山古墳群」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『向山古墳群 -向山古墳群・瓶山古墳群・石馬谷古墳の調査-(淀江町埋蔵文化財発掘調査報告書第17集)』淀江町教育委員会、1990年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 国史跡 向山古墳群 - 米子市ホームページ