岩村兼言
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岩村 兼言(いわむら かねこと、1880年(明治13年)10月18日[1] - 1946年(昭和21年)3月11日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
経歴
[編集]東京府で海軍省官吏・岩村兼善、カネ夫妻の子息として生まれる[1]。1903年12月14日、海軍兵学校(31期)を卒業し、1904年9月10日、海軍少尉任官[1]。同月11日、笠置乗組となり日露戦争に出征[1][2]。
海軍水雷学校特修科学生(2回)、海軍砲術学校特修科学生、同運用術学生として研鑽を積んだ[1]。1909年10月、海軍大尉に昇進し浅間分隊長に就任[1]。以後、春日分隊長、第14艇隊艇長、夕暮駆逐艦長、運送船監督官、津軽水雷長兼分隊長、時雨駆逐艦長、桜駆逐艦長、磯風駆逐艦長、谷風駆逐艦長、第六駆逐隊司令、第九駆逐隊司令、第二駆逐隊司令などを務め、1924年12月、海軍大佐に進み第一駆逐隊司令に就任[1][3]。
その後、軍令部出仕、龍田艦長、霧島艦長、衣笠艦長、伊勢艦長、山城艦長、呉防備隊司令、浜風・呂号第五十七潜水艦触衝事件査問委員長、第一水雷戦隊司令官などを歴任し、1930年12月1日、海軍少将に昇進[1][2][3]。軍令部出仕を経て、1932年7月20日待命、同月30日予備役に編入[1][2][3]。1934年7月18日から同年10月24日まで演習召集を受け佐世保鎮守府附を務めた[1]。1938年10月18日後備役となり、1943年10月18日に退役した[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第一法規出版、1995年。