島卓視
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名前 | ||||||
本名 | 島 卓視 | |||||
カタカナ | シマ タクミ | |||||
ラテン文字 | SHIMA Takumi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年10月3日(57歳) | |||||
出身地 | 徳島県 | |||||
身長 | 170cm[1] | |||||
体重 | 65kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW/MF | |||||
ユース | ||||||
1983-1985 | 徳島商業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1995 | マツダ/サンフレッチェ広島 | |||||
監督歴 | ||||||
1996 | 広島Jr.ユース兼ユースコーチ | |||||
1997-2000 | 広島トップチームコーチ | |||||
2001 | 広島ユースコーチ | |||||
2002-2004 | サンフレッチェびんご監督 | |||||
2005-2008 | 広島ジュニアユース監督 | |||||
2009- | KELT FCジュニアユース監督 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
島 卓視(しま たくみ、1967年10月3日 - )は、徳島県出身の元サッカー選手(FW/MF)、指導者(JFA公認A級コーチ)。
KELT FC(旧NETZ8FC)代表兼ジュニアユース監督。
来歴
[編集]徳島県立徳島商業高等学校卒業[2]。同期に東泰らがいる。
1986年、サンフレッチェ広島の前身であるマツダSCに入団する[2]。同期入団には前川和也や横内昭展らがいる[2]。現役時代は得点力のあるFWとして活躍した[2]。1987年の天皇杯決勝は途中出場を果たしている。
1993年Jリーグが始まると高木琢也との2トップを組み、高木のポストプレーを活かして得点するシャドーストライカーとして活躍した[2]。1994年前期サントリーシリーズのステージ優勝時も、当初は島がレギュラーでイワン・ハシェックからレギュラーポジションを奪っていた[2]。ただJリーグでプレーしていた時期はほとんど足の怪我とリハビリの連続で、結局怪我が原因で1995年に引退[2]した。
引退後はサンフレッチェ広島のコーチに就任し、エディ・トムソン監督の下で学んだ。またプレースタイルの似ていた高橋泰にかなりアドバイスを送っていた。さらには、解説者として『進め!スポーツ元気丸』に出演もしていた。
2001年、トムソン監督退任とともに広島の育成組織へ、特にジュニアユース世代の指導者として活躍する。サンフレッチェびんご監督時代は岡本知剛[2] や井林章など、広島ジュニアユース時代は茶島雄介・森保翔平・中山雄登・玉田道歩・岡崎和也や野津田岳人などを育てた。
2009年、東広島市にあるクラブチームNETZ8FCジュニアユース監督に就任、その後組織改編に伴いKELT FC代表兼ジュニアユース監督に就任した。
個人成績
[編集]以下、2010年12月現在の記録である[3]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1986-87 | マツダ | JSL1部 | |||||||||
1987-88 | |||||||||||
1988-89 | JSL2部 | ||||||||||
1989-90 | 22 | 4 | 2 | 0 | |||||||
1990-91 | 9 | 18 | 9 | 3 | 0 | ||||||
1991-92 | JSL1部 | 15 | 4 | 0 | 0 | ||||||
1992 | 広島 | - | J | - | 8 | 1 | 3 | 0 | 11 | 1 | |
1993 | 9 | 4 | 6 | 1 | 4 | 1 | 19 | 6 | |||
1994 | 28 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | 31 | 3 | |||
1995 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J | 37 | 7 | 15 | 2 | 9 | 1 | 61 | 10 | |
日本 | JSL1部 | 34 | 4 | ||||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
総通算 |
- その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 2試合0得点
- 初出場・初ゴール
- Jリーグ初出場:1993年8月20日ニコス第6節対横浜マリノス戦(三ツ沢公園球技場)
- 盧廷潤に代わり途中出場
- Jリーグ初得点:1993年11月22日ニコス第14節対横浜マリノス戦(大分市営陸上競技場)
- 前半21分ゴール
- JSL(1部)初得点:1991年10月26日 対ヤマハ戦(岡山県営陸上競技場)
脚注
[編集]- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』p120
- ^ a b c d e f g h 紫熊2008年10月
- ^
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9。
参考資料
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 島卓視 - WorldFootball.net
- 島卓視 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 島卓視 - J.League Data Siteによる選手データ
- KELT.FC ホームページ