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島津久雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
島津久雄
時代 江戸時代前期
生誕 寛永10年3月21日1633年4月29日
死没 寛文3年12月2日1663年12月31日
改名 堯仁坊
戒名 見性院殿前但州真誉隆厳居士
墓所 宮崎県宮崎市佐土原町の高月院
官位 従五位下但馬守右馬頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
佐土原藩
氏族 島津氏
父母 島津忠興、丹生氏
兄弟 久雄久富久遐
島津光久長女御満島津光久養女
忠高
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島津 久雄(しまづ ひさたか)は、江戸時代前期の大名日向国佐土原藩3代藩主。

生涯

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寛永10年(1633年)、日向国佐土原藩2代藩主・島津忠興の子として佐土原で誕生する。

寛永14年(1637年)、父・忠興の死去により跡を継いで佐土原藩3代藩主となる。ところが幼少であったため、しばらくは家臣が政務を代行し、同年の島原の乱でも家臣が軍勢を率いて出陣した。

治世においては明暦元年(1655年)に検地を実施するなど藩政の基礎固めを行なった。しかし、承応2年(1653年)の城下町の火事、明暦3年(1657年)の江戸大火(明暦の大火)による江戸藩邸焼失、寛文2年(1662年)9月の領内大地震、寛文3年(1663年)の旱魃など多難を極め、それに伴う出費も重なり藩財政は破綻寸前となった。

そのような中で、同年12月2日に死去。跡を長男・忠高が継いだ。享年31。

系譜

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父母

正室、継室

子女

脚注

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  1. ^ 島津久元の子。