島津忠持
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和3年6月29日(1766年8月4日) |
死没 | 天保2年1月26日(1831年3月10日) |
改名 | 勝丸(幼名)、忠持 |
別名 | 又之進(通称) |
戒名 | 徳寿院殿前淡州刺吏仁誉崇興翫山大居士 |
墓所 | 宮崎県宮崎市佐土原町の高月院 |
官位 | 従五位下淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 日向佐土原藩主 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 島津久柄、島津重豪義妹梅 |
兄弟 |
忠持、久充、久儔、久留島通同正室、 九鬼隆張正室、樺山久年室ら |
妻 | 雅姫 |
子 | 忠徹、小川久徳、久業 |
島津 忠持(しまづ ただもち)は、日向国佐土原藩9代藩主。島津宗家の島津重豪の従弟であり、義理の甥である。幼名は勝丸。通称は又之進。官位は従五位下、淡路守。
生涯
[編集]明和3年(1766年)6月29日、第8代藩主・島津久柄の三男として生まれる。天明5年(1785年)5月23日、父の隠居により跡を継ぐ。寛政5年(1793年)に幕府に対して海防の意見書を出している。藩財政再建のために藩士の知行のうち半分を3ヵ年上納させた。また、藩士に崎門学派の儒者御牧直斎のもとで学ばせた。文化13年(1816年)、長男・忠徹に家督を譲って隠居した。文化14年4月、全国諸山での修行を終えた野田泉光院と会見する。天保2年(1831年)1月26日に死去した。享年66。
系譜
[編集]父母
正室
子女