島田晴誉
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島田 晴誉(しまだ はるたか、1882年〈明治15年〉 - 1973年〈昭和48年〉2月18日)は、日本の指揮者。
生涯・人物
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管弦楽:ドナウ河の漣 - 島田晴誉指揮、松竹管弦楽団演奏(ヨシフ・イヴァノヴィチのドナウ川のさざなみ) |
現在の茨城県龍ケ崎市で生まれた[1]。その後東京に出て1898年(明治31年)海軍軍楽隊に入隊するも1916年(大正5年)軍楽隊を退職し、翌1917年(大正6年)ローヤル館、1918年(大正7年)浅草アズマ座指揮者となる。1920年(大正9年)松竹管弦楽団長に就任した[2]。
昭和に入ってからは当管弦楽団とNHKでの音楽番組の放送、レコードの録音にも関わった。トーキー映画の発明に際して音楽の座を去る。その後は向島で飲食店「四季里」を経営していた。1973年2月18日に死去した。帝国館のチラシには、島田が『カルメン』を指揮したとの記述がある[3]。娘に声楽家の島田和子がいる。
出典
[編集]- ^ 明治~平成, 新撰 芸能人物事典. “島田晴誉(シマダ ハルタカ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年9月7日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. rekion.dl.ndl.go.jp. 2024年9月7日閲覧。
- ^ “[帝国館チラシ| 関西大学デジタルアーカイブ]”. www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp. 2024年9月7日閲覧。