コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

崎浦村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さきうらむら
崎浦村
廃止日 1936年4月1日
廃止理由 編入合併
三馬村、小坂村、崎浦村金沢市
現在の自治体 金沢市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
石川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.24[1] km2.
総人口 2,135
(石川県石川郡誌(1927年)、1924年)
隣接自治体 金沢市、石川郡犀川村内川村
河北郡浅川村
崎浦村役場
所在地 石川県石川郡崎浦村笠舞[2]
座標 北緯36度32分48秒 東経136度40分50秒 / 北緯36.54678度 東経136.68047度 / 36.54678; 136.68047座標: 北緯36度32分48秒 東経136度40分50秒 / 北緯36.54678度 東経136.68047度 / 36.54678; 136.68047
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

崎浦村(さきうらむら)は、かつて石川県石川郡に存在した村。

村名の由来は、この地が古くから「山崎」と言われていたことと、この一帯が江戸時代は「金浦郷」または「石浦荘」に属していたことから、両者から「崎」と「浦」の2字を合わせたものである。

地理

[編集]

歴史

[編集]
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、石川郡上野新村、牛坂村、大桑郷、笠舞村、山崎領、土清水村、牛首村、三口新村[注 1][3]、涌波新村及び田井村の区域をもって、石川郡崎浦村が発足する[4]。この時に、山崎領は山崎地方に名称を変更する。
  • 1891年(明治24年)11月21日 - 湯涌谷村の区域の内、字舘の区域を編入する。
  • 1936年昭和11年)4月1日 - 金沢市に編入する。この内大字上野新は上野本町[注 2]、牛坂は旭町、牛首は錦町、山崎地方は長谷川町[注 3]、大桑郷は大桑町、涌波新は涌波町に名称を変更する。舘の区域は舘町及び舘山町に分割する。残りの5大字は金沢市の町名に継承。

教育

[編集]

出身者

[編集]

現在の町名

[編集]

住居表示実施地域

  • 三口新町、旭町、田井町、涌波、笠舞本町、花里町、西大桑町の全域と桜町、小立野、笠舞、鈴見台、天神町、城南、菊川、法島町、本多町の各一部。

住居表示未実施地域

  • 上野本町、旭町、大桑町、笠舞町、土清水町、錦町、三口新町、涌波町、舘町、舘山町、大桑新町、つつじが丘、土清水、大桑の全域ともりの里、田上さくら、田上本町の各一部。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 三口村(弓取村の字)出身者が移住して誕生した
  2. ^ 現在の小立野3丁目、笠舞1丁目、三口新町3丁目にまたがる所にあった。
  3. ^ 現在の笠舞2丁目の東側に存在した。

出典

[編集]
  1. ^ 市域の変遷”. 金沢市. 2013年6月21日閲覧。
  2. ^ 帝国市町村便覧(1915年)P.273”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月21日閲覧。
  3. ^ 浅野川線 駅の歴史シリーズ(3)” (PDF). 北陸鉄道. 2013年6月21日閲覧。
  4. ^ a b 石川県石川郡誌(1927年)P.1094”. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー. 2013年6月21日閲覧。
  5. ^ 平沢嘉太郎の碑・粟ヶ崎遊園本館ゲート跡”. うちなだ・きてみてねっと - 内灘町商工会. 2013年6月21日閲覧。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]