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崔堯森

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
崔 堯森
基本情報
本名 崔 堯三
階級 フライ級
身長 163cm
国籍 大韓民国の旗 韓国
誕生日 (1973-10-16) 1973年10月16日
出身地 韓国全羅北道井邑市
死没日 (2008-01-03) 2008年1月3日(34歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 37
勝ち 32
KO勝ち 19
敗け 5
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崔 堯森(チェ・ヨサム、: 최요삼1973年10月16日 - 2008年1月3日)は、大韓民国プロボクサー。元WBC世界ライトフライ級王者。本名・前リングネームは崔 堯三で、名前の堯森堯三は、朝鮮語では、同音の『ヨサム、요삼』である。

来歴

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1993年7月3日、プロデビュー。

1995年9月23日、韓国ライトフライ級王座獲得。しかし、11月24日の初防衛戦で陥落。これがプロ初敗北となった。

1996年12月3日、大阪府で行われた東洋太平洋ボクシング連盟 (OPBF)東洋太平洋ジュニアフライ級王座決定戦に出場。安藤謙三に12回判定勝ちし王座獲得。3度防衛後、1999年9月に王座返上。

1999年10月17日、母国で世界初挑戦。世界ボクシング評議会 (WBC)世界ライトフライ級王座10度防衛中のサマン・ソーチャトロンタイ王国)に挑み、12回判定勝ち。王座獲得に成功。サマンとは2001年1月30日の2度目の防衛戦でも対戦し、7回KOで返り討ち。その後、3度目の防衛にも成功。

2002年7月6日、4度目の防衛戦。暫定王者ホルヘ・アルセメキシコ)と統一戦を行い、6回TKO負け。王座から陥落した。試合後、一度は引退を表明したが、程なくして撤回。

2003年11月15日、世界再挑戦。ベビス・メンドサコロンビア)とのWBA世界ライトフライ級暫定王座決定戦に臨むも12回判定負け。

2004年9月9日、1階級上げての世界挑戦。WBA世界フライ級王者ロレンソ・パーラベネズエラ)に挑むも、12回判定負け。

2007年9月16日、WBOインターコンチネンタルフライ級王座決定戦に出場。テルドキャット・ジャンデーン(タイ)を12回判定に降し、王座獲得。

2007年12月25日、ヘリ・アモル(インドネシア)を挑戦者に迎えての初防衛戦。終始優位に試合を進めるも、最終・12回終了直前に強烈な右を顎に受け、ダウン。立ち上がったところで試合終了のゴング。直後、リング上で倒れ意識不明となった。結果は3-0の判定勝ちで防衛成功となったが、意識不明のまま会場近くの病院に搬送。試合から8日後の2008年1月2日、脳出血による[1]脳死と診断された。その後、家族の要望で生命維持装置が外され、1月3日午前0時に正式に死亡。34歳没。崔の臓器は、移植を希望する患者6人に提供された。この事故をめぐっては応急措置が適切でなかったとして、2010年6月には病院側に1,500万ウォンの賠償金支払を命じる判決が下された[1]

獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ a b 死亡したボクシング選手チェ・ヨサム…「病院側も責任」 韓国情報発信基地! innolife.net 2010年6月5日閲覧

関連項目

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外部リンク

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前王者
サマン・ソーチャトロン
WBC世界ライトフライ級王者

1999年10月17日 - 2002年7月6日

次王者
ホルヘ・アルセ