嵐山カントリークラブ
嵐山カントリークラブ Ranzan Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1962年(昭和37年)10月21日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 小寺 酉二 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 株式会社嵐山カントリー倶楽部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トーナメント | ・1984年 第49回 日本オープンゴルフ選手権競技大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 嵐山カントリークラブ |
嵐山カントリークラブ(らんざんカントリークラブ)は、埼玉県比企郡嵐山町に所在するゴルフ場である。
概要
[編集]東京都江東区深川の湾岸埋立地に、1952年(昭和27年)に開場した「東雲ゴルフ場」(設計・井上誠一)は、銀座や大手町から車で至近距離ということで人気があった[1]。だが、東京都港湾局所有の借地であったため、その代替のゴルフ場を計画することになった[1]。
移転先が検討され、理事長の元東京都長官・松井春生は、長野県北佐久郡御代田町に計画、後に「大浅間ゴルフクラブ」(設計・松井春生)を、1963年(昭和38年)に開場した[1]。常務理事・天野健雄は、難航したが現在地の菅谷村(当時)鎌形と隣接の共同山に決定した[1]。1961年(昭和36年)9月、初代理事長には天野が就任した[1]。菅谷村鎌形は、秩父山地の麓で標高50 - 70メートルの台地で、都幾川の上流には京都・嵐山に似た渓流があることから「武蔵嵐山」と名付けられていた[1]。命名者は本多静六といわれ、「嵐山カントリークラブ」も第1回の募集時は「武蔵嵐山カントリークラブ」と称していた[1]。
コース設計は小寺酉二に依頼、1960年(昭和35年)11月23日、コースの工事が着工された。小寺の設計方針は、徹底した1グリーン主義で、ひとつのグリーンに高麗芝とベント芝を張り分けたコンビネーショングリーンの採用で話題になっていた[1]。だが、嵐山カントリークラブでは、経営陣は、2グリーンを主張して対立したが、小寺は2グリーンを承諾した[1]。
1961年(昭和36年)12月3日、コースは完成し、18ホールは仮開場された[1]。正式開場されなかったのは、ヤーデージ不足の修正、グリーンの改造などに費やすること約1年間、翌1962年(昭和37年)10月21日、全ての工事が完成し、18ホールのゴルフ場が開場された[1]。コースからは、秩父連山を見渡せるロケーションの恵まれた場所にある林間コースである[2][3]。
小寺は、兵庫県生にまれ、米国プリンストン大学留学中に赤星六郎からゴルフの指導を受け、アマチュア競技大会で活躍した。戦後、ゴルフ界の国際化に貢献し、コース設計家として才能を発揮し多くのコース設計に携わった[1][3]。
所在地
[編集]〒355-0225 埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146番地
コース情報
[編集]- 開場日 - 1962年10月21日
- 設計者 - 小寺 酉二
- 面積 - 825,000m2(約24.9万坪)
- コースタイプ - 林間コース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,442ヤード、コースレート72.4
- グリーン - 2グリーン、ベント、ニューベント
- フェアウエイ - コーライ
- ラフ - ノシバ
- プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)、キャディ付き
- 練習場 - 24打席 200ヤード
- 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[4][5]
クラブ情報
[編集]- ハウス設計 - 天野太郎[6](DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定[7])
ギャラリー
[編集]- コース - 「嵐山カントリークラブ」、コースガイド
- ハウス - 「嵐山カントリークラブ」、クラブライフ
交通アクセス
[編集]鉄道
道路
メジャー選手権
[編集]- 1984年(昭和59年) - 第49回 日本オープンゴルフ選手権競技大会開催[9]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 「嵐山カントリークラブ」ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会(編)『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』ゴルフダイジェスト社、2013年12月、pp.382-383
- ^ 「嵐山カントリークラブ」、嵐山カントリークラブの歴史、2020年8月5日閲覧
- ^ a b 「嵐山カントリークラブ」、ゴルフダイジェスト、2020年8月5日閲覧
- ^ 「嵐山カントリークラブ」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2020年7月日閲覧
- ^ 「嵐山カントリークラブ」、ゴルフホトライン、2020年8月5日閲覧
- ^ 「嵐山カントリークラブ」、クラブハウスについて、2020年8月5日閲覧
- ^ DOCOMOMO. “武蔵嵐山カントリークラブ (現 嵐山カントリー倶楽部)”. docomomo. 2022年6月8日閲覧。
- ^ 「嵐山カントリークラブ」、アクセス、2020年8月5日閲覧
- ^ 「日本オープンゴルフ選手権競技」、日本ゴルフ協会、2020年8月5日閲覧
関連文献
[編集]- 「嵐山カントリークラブ 天野太郎研究室」『建築文化』第17巻5号(通巻187号)彰国社、1962年5月、[要ページ番号]
- 玉川力「嵐山カントリークラブ」『週刊ダイヤモンド』第59巻28号(1971年7月3日号)ダイヤモンド社、1971年7月、[要ページ番号]
- 「嵐山カントリークラブ」『嵐山の二十年』、嵐山町、1983年、[要ページ番号]
- 30年史編纂委員会(編)『紺碧の空に打つ 嵐山カントリークラブ30年の歩み』ダイヤモンド社、1993年10月
- 「嵐山カントリークラブ」『月刊ゴルフマネジメント』1999年8月20日号(通巻180号)、一季出版、1999年8月、[要ページ番号]
- 「嵐山カントリークラブ(埼玉県)」『ゴルフ場ガイド 東版 2006-2007』ゴルフダイジェスト社、2006年5月、[要ページ番号]、
- 井上勝純「ゴルフ倶楽部を考える(第252回)嵐山カントリークラブの誕生」『月刊ゴルフマネジメント』28号 (通巻281号)、一季出版、2007年4月、[要ページ番号]
- 「嵐山カントリークラブ 埼玉県比企郡嵐山町 設計」天野太郎研究室建築思潮研究所(編)『住宅建築現代の要求に応えながら、魅力を再現する』、 建築資料研究社、2017年2月、[要ページ番号]