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川上哲郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本実業家住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階従三位勲一等瑞宝章受章。

来歴・人物

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東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業[1]古川栄一ゼミ出身[2]

商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問[1]

財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた[3]

1997年に日本万国博覧会記念協会会長就任。1998年大和証券監査役、1999年大和証券グループ本社監査役、2002年大和証券グループ本社取締役。2002年から2013年まで明電舎取締役。

著書に『日本型経営の叡知』『西暦2050年の日本人へのメッセージ』(ともに共著)。

2021年1月9日、老衰のため死去。92歳没。葬儀は近親者のみで執り行われた[4][5]。叙従三位[6]

役職

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  • 日本ベンチャーキャピタル株式会社取締役
  • 公益財団法人京阪神ケーブルビジョン会長
  • SPring-8利用推進協議会会長
  • 一般財団法人関西情報センター顧問
  • 一般社団法人日韓経済協会相談役
  • 立命館アジア太平洋大学アドバイザリー・コミッティ委員
  • 公益財団法人太平洋人材交流センター評議員
  • 公益財団法人関西エネルギー・リサイクル科学研究振興財団理事
  • 組込みソフト産業推進会議監事
  • 歴史街道推進協議会相談役
  • 公益財団法人松下幸之助記念財団評議員会議長

かつて務めていた役職

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  • 社団法人日本情報システム・ユーザー協会副会長
  • 財団法人日本情報処理開発協会理事
  • 財団法人国際科学振興財団理事
  • 財団法人千里国際情報事業財団理事
  • 財団法人国際民商事法センター理事
  • 財団法人医療情報システム開発センター理事
  • 財団法人アジア太平洋観光交流センター理事
  • 財団法人高輝度光科学研究センター会長
  • 財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事
  • 大阪都市経済調査会会長
  • 財団法人日本室内楽振興財団理事
  • 日本国際貿易促進協会副会長
  • 社団法人ビューティフルエージング協会理事
  • 社団法人日本租税研究協会副会長
  • 財団法人関西社会経済研究所理事
  • 公益財団法人大阪市都市型産業振興センター理事長

脚注

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  1. ^ a b 「「無残な光景忘れぬ」海軍兵学校で原爆に遭遇 元関経連会長・元住友電工会長 川上哲郎氏(87) 」産経ニュース2015.8.11 07:00
  2. ^ 「グローバル時代の人材養成・・・・・・川上哲郎」住友史料叢書「月報」25号 [2010年12月15日刊行]
  3. ^ 「阪神大震災、目指した民間主導の復興…第10代会長・川上哲郎氏(88)」産経ニュース2016.10.6 07:00
  4. ^ 訃報 (PDF) - 住友電気工業株式会社、2021年1月12日、同日閲覧
  5. ^ “元関経連会長の川上哲郎氏が死去 住友電気工業の元社長”. 一般社団法人共同通信社. (2021年1月12日). https://web.archive.org/web/20210112053228/https://this.kiji.is/721597802208247808 2021年1月12日閲覧。 
  6. ^ 『官報』第431号、令和3年2月12日
先代
亀井正夫
住友電気工業社長
1982年 - 1991年
次代
倉内憲孝
先代
宇野収
関西経済連合会会長
1994年 - 1997年
次代
新宮康男