川勝広當 (讃岐守)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保元年(1716年) |
死没 | 延享3年11月24日(1747年1月4日) |
別名 | 左京(通称) |
戒名 | 悟心(法名) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
官位 | 従五位下、讃岐守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝広良、母:川勝広能の娘 |
兄弟 | 川勝広當 |
妻 |
正室:小林正壽の娘、 継室:川勝光隆の娘 |
子 |
広豊(婿養子。川勝隆盛の二男)、 女子(川勝広豊室) |
川勝 広當(かわかつ ひろまさ)は、江戸時代中期の旗本。広恒流川勝家の4代当主。
生涯
[編集]享保元年(1716年)、川勝広良の嫡男として江戸に生まれた。享保8年(1723年)9月2日、父広良の死去により、わずか8歳で家督(武蔵・下総・常陸内550石)を継いだ。後に百手的の台覧の列にあって、黄金二枚を給わった。
元文2年(1737年)12月25日、江戸城西の丸の小納戸役に列して、同日に布衣を着る事を許された。元文3年(1738年)12月15日、西の丸小姓に転じた。寛保元年(1741年)12月19日、従五位下、讃岐守に叙任し、寛保2年(1742年)6月10日に将軍徳川吉宗から國正の御刀を拝賜した。
延享2年(1745年)9月朔日、江戸城本城の勤めとなったが、延享3年(1746年)11月24日、31歳で早世した。家督は末期養子の広豊が継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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