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川勝光隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝光隆
時代 江戸時代前期 - 江戸時代中期
生誕 貞享2年(1685年
死没 宝暦元年7月16日1751年9月5日
別名 平三郎、勘右衛門(通称)
戒名 瑞翁(法名)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
官位 布衣(六位)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 川勝氏
父母 父:川勝隆成、母:逸見義長の娘
兄弟 光隆隆芳、某(式部)、
隆恭
女子(宝富章室)、女子(川勝広達室)、
女子(水戸家の臣川勝権左衛門某室)、
女子
正室:岡田由重の娘
養子に隆恭(隆成の四男。実弟)、
女子(川勝隆盛室)、女子(小笠原持賢室)、
女子(川勝広當室)、女子(門奈直以室)、
女子(深尾鼂忠室)
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川勝 光隆(かわかつ みつたか)は、江戸時代前期から中期の旗本。隆房流川勝家の3代当主。

生涯

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貞享2年(1685年)、川勝隆成の嫡男として江戸に生まれた。元禄8年(1695年)2月28日、11歳で初めて将軍徳川綱吉に拝謁した。宝永6年(1709年)4月6日、大番に列した。享保4年(1719年)11月2日、父隆成の死去により家督(蔵米400俵)を継いだ。

享保15年(1730年)2月7日、組頭となった。元文元年(1736年二条城の守衛にあって女御御所の造営に携わったため、同年11月2日、黄金2枚を給わり、同年11月4日禁裏よりも紗綾五巻を拝賜した。寛保3年(1743年)閏4月15日、利根姫(将軍徳川吉宗の養女)の用人に転じ、同年12月21日に布衣を着る事を許された。延享2年(1745年)、利根姫逝去により、延享3年(1746年)3月8日に退職を許され、寄合に列し、同年8月21日に船手となった。

宝暦元年(1751年)7月16日、67歳で没した。家督は実弟で養子の隆恭が継いだ。


参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代
隆成
川勝知氏系隆房流
3代:1719年 - 1751年
次代
隆恭