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川勝隆明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝隆明
時代 江戸時代前期 - 江戸時代中期
生誕 寛文2年(1662年
死没 元文3年7月17日1738年8月31日
改名 休残(隠居後の号)
別名 新五左衛門、権之助(通称)
戒名 土身(法名)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
官位 布衣(六位)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 川勝氏
父母 父:川勝隆房、母:馬淵氏
養父:隆尚
兄弟 隆成隆明広英
女子(岡田由重室)、某
正室:津軽越中守家臣津軽政期の養女
隆雄(婿養子。親族男子)、
隆光、女子(隆雄の室)、広勝
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川勝 隆明(かわかつ たかあきら)は、江戸時代前期から中期の旗本。隆尚流川勝家の2代当主。

生涯

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寛文2年(1662年)、川勝隆房の二男として江戸に生まれ、後に川勝隆尚の養子となった。元禄4年(1691年)12月2日、書院番に列し、元禄9年(1696年)12月22日に勤務の褒賞として黄金5枚を給わった。宝永3年(1706年)11月26日から西城に仕え、宝永5年(1708年)6月16日、桐間番に転じた。宝永6年(1709年)2月21日、書院番に復し、正徳5年(1715年)12月11日、義父隆尚の隠居により、その家督(上野相模内2,800石)を継いだ。享保4年(1719年)7月4日、書院番組頭に進み[1]、同年12月18日に布衣を着る事を許された。

享保10年(1725年)7月10日、職を辞して寄合に列し、享保20年(1735年)5月16日に隠居した。家督は婿養子の隆雄に譲った[2]元文3年(1738年)7月17日、77歳で没した。

脚注

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  1. ^ 書院番組頭は、番士50名、与力10騎、同心20名を指揮して、将軍の警護にあたった。若年寄支配。
  2. ^ いずれ、初代・隆尚の嫡男である川勝隆盛が、隆尚流川勝家の家督を継ぐ予定であった。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年


先代
隆尚
川勝知氏系隆尚流
2代:1715年 - 1735年
次代
隆雄