川勝隆明
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時代 | 江戸時代前期 - 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛文2年(1662年) |
死没 | 元文3年7月17日(1738年8月31日) |
改名 | 休残(隠居後の号) |
別名 | 新五左衛門、権之助(通称) |
戒名 | 土身(法名) |
墓所 | 東京都港区赤坂の法安寺 |
官位 | 布衣(六位) |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 |
父:川勝隆房、母:馬淵氏 養父:隆尚 |
兄弟 |
隆成、隆明、広英、 女子(岡田由重室)、某 |
妻 | 正室:津軽越中守家臣津軽政期の養女 |
子 |
隆雄(婿養子。親族男子)、 隆光、女子(隆雄の室)、広勝 |
川勝 隆明(かわかつ たかあきら)は、江戸時代前期から中期の旗本。隆尚流川勝家の2代当主。
生涯
[編集]寛文2年(1662年)、川勝隆房の二男として江戸に生まれ、後に川勝隆尚の養子となった。元禄4年(1691年)12月2日、書院番に列し、元禄9年(1696年)12月22日に勤務の褒賞として黄金5枚を給わった。宝永3年(1706年)11月26日から西城に仕え、宝永5年(1708年)6月16日、桐間番に転じた。宝永6年(1709年)2月21日、書院番に復し、正徳5年(1715年)12月11日、義父隆尚の隠居により、その家督(上野・相模内2,800石)を継いだ。享保4年(1719年)7月4日、書院番組頭に進み[1]、同年12月18日に布衣を着る事を許された。
享保10年(1725年)7月10日、職を辞して寄合に列し、享保20年(1735年)5月16日に隠居した。家督は婿養子の隆雄に譲った[2]。元文3年(1738年)7月17日、77歳で没した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 『川勝家文書』東京大学出版会、日本史籍協会叢書57、1984年
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