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川崎健太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎 健太郎
名前
カタカナ カワサキ ケンタロウ
ラテン文字 KAWASAKI Kentaro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-12-18) 1982年12月18日(42歳)
出身地 大阪府大阪市
身長 175cm
体重 65kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
ユース
1995-2000 日本の旗 セレッソ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 日本の旗 セレッソ大阪 0 (0)
2002 日本の旗 佐川急便大阪SC 6 (0)
2003-2005 日本の旗 モンテディオ山形 38 (1)
2006-2007 日本の旗 コンサドーレ札幌 6 (0)
2008-2010 日本の旗 カターレ富山 65 (1)
通算 115 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

川崎健太郎(かわさき けんたろう、1982年12月18日 - )は、元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF

来歴

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ジュニアユース時代からセレッソ大阪に所属し、ユース代表に選ばれるなど活躍。2001年にトップ昇格を果たした。しかし、入団一年目は出場機会を得られず、二年目も結局一度も出場できないまま9月にJFL佐川急便大阪SC期限付き移籍[1]

2003年モンテディオ山形に移籍し、初年度は左サイドバックとして活躍したものの、シーズンを重ねるごとに出場機会が減っていき、2005年シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。引退も視野に入れていたがJリーグ合同トライアウトを経て2006年コンサドーレ札幌への入団が決定した。

札幌では出場機会に恵まれず2006年をもって戦力外通告を受けてしまうが、その年の天皇杯全日本サッカー選手権大会でレギュラーとなり、左足から繰り出される正確なクロスと鋭いドリブルでチームのベスト4入りに貢献。この活躍により札幌と再契約を結んだ[2]。だが2007年はわずか2試合の出場に終わり、シーズン終了後再び契約満了による退団が発表された。

2008年1月23日、当時JFL所属のカターレ富山への移籍が発表された。初年度は怪我もあり出場機会が少なかったが、チームがJリーグに加盟した2009年には上園和明の負傷離脱の影響もあり35試合に出場し、天皇杯3回戦でもJ1上位の川崎フロンターレから1得点を上げた。2010年、シーズン終了をもって戦力外通告により退団、その後現役を引退。

2011年よりヴィッセル神戸スクールコーチに就任。

エピソード

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  • 目標とする選手として元韓国代表のMF尹晶煥を挙げている。尹とはセレッソ大阪時代のチームメイトでプライベートでも親しい[3]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 C大阪 31 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 J2 0 0 - - 0 0
2002 佐川大阪 20 JFL 6 0 - 2 0 8 0
2003 山形 25 J2 21 1 - 3 2 24 3
2004 18 14 0 - 0 0 14 0
2005 3 0 - 0 0 3 0
2006 札幌 22 4 0 - 4 0 8 0
2007 2 0 - 1 0 3 0
2008 富山 14 JFL 13 0 - 0 0 13 0
2009 J2 35 1 - 2 1 37 2
2010 17 0 - 1 0 18 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 J2 96 2 - 11 3 107 5
日本 JFL 19 0 - 2 0 21 0
総通算 115 2 0 0 13 3 128 5

代表歴

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指導歴

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  • ヴィッセル神戸
    • 2011年 - 2015年 スクールコーチ
    • 2016年 - 2017年 チーフスクールコーチ
  • 2018年 - DESEOサッカースクール コーチングスタッフ、代表

脚注

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  1. ^ 羽地選手&川崎選手期限付移籍期間延長 - ウェイバックマシン(2007年12月14日アーカイブ分) セレッソ大阪 (2002年11月20日)
  2. ^ “札幌、MF川崎と再契約”. ゲキサカ. (2007年1月13日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?22912-3713-fl 2018年10月2日閲覧。 
  3. ^ 北海道新聞 2006年1月31日

関連項目

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外部リンク

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