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川本幸生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川本 幸生
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区
生年月日 (1957-03-25) 1957年3月25日
没年月日 (2010-05-11) 2010年5月11日(53歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • 広島県立広島商業高等学校 (1985 - 1989, 2006)

川本 幸生(かわもと ゆきお、1957年3月25日 - 2010年5月11日)は、日本の野球選手アマチュア野球指導者。元広島県立広島商業高等学校総監督。

経歴

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広島県広島市中区生まれ。広島市立国泰寺中学校卒業後、広島商業高校に入学。

広島商業高校2年の1973年昭和48年)、夏の第55回全国高等学校野球選手権大会二塁手として出場。当時のメンバーには達川光男佃正樹金光興二楠原基らがいる。第45回選抜高等学校野球大会の準決勝では江川卓をエースとする作新学院を破り決勝に進出、横浜高校に破れるも、夏の選手権では静岡高を下し優勝に貢献。

広島商卒業後、広島修道大学を経て、1982年(昭和57年)、社会人野球のリッカーに入社、内野手として3年間プレーした。

1985年(昭和60年)8月、母校の広島商の監督に就任。1989年平成元年)9月の退任まで春・夏合わせて3回甲子園出場。うち1988年(昭和63年)夏大会で優勝を果たした。

監督退任後は、NHK高校野球解説者や、地元のタイル販売・施工会社の副社長などを務めた。

2006年(平成18年)7月29日には、広島商に監督として復帰するも、体調を崩し10ヶ月で退任し総監督に退いた。2009年(平成21年)春にはNHKの選抜高校野球で解説。3月29日の第3試合「習志野利府」戦のラジオ中継での解説が最後となった[1]

2010年(平成22年)5月11日午前10時11分、大腸がんのため広島市の病院死去[2]

エピソード

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  • NHKで高校野球解説をしていた当時、実況アナウンサーからの「広島商業で選手としても監督としても全国制覇を果たされました」との紹介がお約束となっていた。

関連人物

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 通常はラジオ第1で放送されるが、大相撲春場所千秋楽中継のためFMでの放送となった。
  2. ^ “川本幸生氏が死去…広島商で全国制覇”. 日刊スポーツ. (2010年5月12日). https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20100512-628630.html 2020年2月20日閲覧。 

外部リンク

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