川目亨一
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川目 亨一(かわめ こういち、1853年7月29日(嘉永6年6月24日[1]) - 1907年(明治40年)2月20日[2])は、明治時代の司法官。大審院検事。宮城控訴院検事長。
経歴
[編集]川目正徳の長男として[1]、江戸に生まれる[2]。1868年(明治元年)静岡に移住した[3]。昌平黌に学び[2]、1877年(明治10年)司法省出仕生徒を経て、1881年(明治14年)判事となる[1]。1883年(明治16年)検事に転じ、1890年(明治23年)大審院検事に、1898年(明治31年)宮城控訴院検事長に任じた[1]。ほか、判検事登用試験委員長を務めた[1]。在職中に秩父事件、加波山事件、大津事件などを担当した[2]。1907年(明治40年)2月、脳溢血により死去した[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。