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川目亨一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川目 亨一(かわめ こういち、1853年7月29日嘉永6年6月24日[1]) - 1907年明治40年)2月20日[2])は、明治時代の司法官大審院検事宮城控訴院検事長。

経歴

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川目正徳の長男として[1]江戸に生まれる[2]1868年(明治元年)静岡に移住した[3]昌平黌に学び[2]1877年(明治10年)司法省出仕生徒を経て、1881年(明治14年)判事となる[1]1883年(明治16年)検事に転じ、1890年(明治23年)大審院検事に、1898年(明治31年)宮城控訴院検事長に任じた[1]。ほか、判検事登用試験委員長を務めた[1]。在職中に秩父事件加波山事件大津事件などを担当した[2]。1907年(明治40年)2月、脳溢血により死去した[3]

親族

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1903, 382頁.
  2. ^ a b c d 上田ほか 2001, 575頁.
  3. ^ a b c 大植 1935, 1019頁.

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810 
  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496