工藤玖三
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くどう きゅうぞう 工藤 玖三 | |
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生誕 |
1865年 日本陸奥国弘前藩領 |
死没 |
1947年3月21日 日本 |
出身校 | 青森県師範学校 |
職業 | 教員、牧師 |
配偶者 | 中田陸奥(中田重治の長女) |
子供 | 大江寛人 |
工藤 玖三(くどう きゅうぞう、1865年 - 1947年(昭和22年)3月21日)は、戦前の日本ホーリネス教会の牧師である。
生涯
[編集]弘前・教員時代
[編集]青森県師範学校卒業後に1897年(明治30年)から1903年(明治36年)まで弘前女学校(弘前学院)の小学部教頭を務める。それから名古屋金城女学校の教頭になる。在学中に、地久節祝典で、「君が代」「教育勅語」を使用しなったので、地方新聞から批判され、1908年(明治41年)に辞職する。
自由メソジスト時代
[編集]その後、河辺貞吉の指導する日本自由メソジスト教会の信徒伝道者として、兵庫県淡路島の洲本教会の牧師になる。明石に転任した後、洲本教会牧師となる。
ホーリネス時代
[編集]旧友中田重治の日本ホーリネス教会に加入する。札幌、京都、大阪阿倍野などで伝道する。
きよめ教会時代
[編集]中田重治の没後、きよめ教会の代表になる。1942年(昭和17年)6月ホーリネス弾圧事件で検挙され、1943年(昭和18年)に実刑判決を受ける。2年の懲役の判決で、大阪刑務所で服役したが、1年で出所。戦後、京都山科で死去する。
参考文献
[編集]- 『日本キリスト教歴史大辞典』教文館、1988年
- 『中田重治伝』1953年