巨勢小邑治
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時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 神亀元年6月6日(724年6月30日)以前 |
別名 | 子祖父、児祖父 |
官位 | 従五位上、伊予守 |
主君 | 文武天皇→元明天皇 |
氏族 | 巨勢氏 |
父母 | 父:巨勢黒麻呂 |
兄弟 | 邑治、小邑治 |
子 | 堺麻呂 |
巨勢 小邑治(こせ の こおおじ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は子祖父・児祖父とも記される。左大臣・巨勢徳多の孫で、中納言・巨勢黒麻呂の子。官位は 従五位上・伊予守。
経歴
[編集]文武朝の慶雲2年(705年)阿倍真君・佐伯男・田口広麻呂・紀男人らとともに従六位下から四階昇進して従五位下に叙爵する。
元明朝の和銅4年(712年)藤原武智麻呂・藤原房前・多治比県守・県犬養筑紫・小治田安麻呂・中臣人足・平群安麻呂とともに従五位上に昇叙され、和銅7年(715年)伊予守に任ぜられた。
以降の事績は不明。小邑治の子息で兄・巨勢邑治の養子となった巨勢堺麻呂の薨伝によると、小邑治の位階が従五位上のままである一方で[1]、邑治が神亀元年(724年)6月に没していることから[2]、小邑治もそれ以前に卒去した可能性が高い[3]。
官歴
[編集]『続日本紀』による。