市東村
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しとうむら 市東村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 市東村、湿津村 → 市津村 |
現在の自治体 | 市原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 市原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 29.38 km2 |
総人口 |
5,039人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 市原郡湿津村、菊間村、千葉郡椎名村、誉田村、山武郡土気町、長生郡本納町、長柄村 |
市東村役場 | |
所在地 | 千葉県市原郡市東村 |
座標 | 北緯35度30分26秒 東経140度12分53秒 / 北緯35.50736度 東経140.21486度座標: 北緯35度30分26秒 東経140度12分53秒 / 北緯35.50736度 東経140.21486度 |
ウィキプロジェクト |
市東村(しとうむら)は、かつて千葉県市原郡に存在し、昭和の大合併で廃止された村。現在の市原市の北東部(市津地区)に所在していた。
地理
[編集]市原郡(郡域はほぼ現在[注釈 1]の市原市と重なる)の北東端に位置した村である[1]。1916年(大正5年)時点で、北に千葉郡誉田村・椎名村、東に山武郡土気本郷町、南に長生郡上長柄村・二宮本郷村・新治村、西に湿津村・菊間村と接する[1]。
1916年(大正5年)に編纂された『千葉県市原郡誌』によれば、番場(ばんば)、永吉(ながよし)、中野(なかの)、押沼(おしぬま)、瀬又(せまた)、高田(たかた)、高倉(たかくら)、古都辺(こつべ)、東国吉(ひがしくによし)、奈良(なら)、金剛地(こんごうじ)、板倉(いたくら)の12区(いずれも町村制施行以前の旧村=大字)からなる[2]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、瀬又村・番場村・押沼村・中野村・東国吉村・金剛寺村・板倉村・永吉村・高田村・高倉村・奈良村・古都辺村が合併し市原郡市東村が発足。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 湿津村と合併し市津村となり消滅。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2023年9月現在。所属自治体や地勢など、当分変更が見込まれないものに関しては、以後特に注記を設けない。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 市原のあゆみ[要文献特定詳細情報]
- 小沢治郎左衛門『上総国町村誌 第一編』1889年。NDLJP:763698。
- 千葉県市原郡教育会『千葉県市原郡誌』千葉県市原郡、1916年。NDLJP:951002。
- 『明治22年千葉県町村分合資料 七 市原郡町村分合取調』1889年 。