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平井光親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平井 光親
愛知工業大学硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県糟屋郡志免町
生年月日 (1966-11-08) 1966年11月8日(58歳)
身長
体重
175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1988年 ドラフト6位
初出場 1989年4月11日
最終出場 2002年10月18日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2006 - 2007)
  • 愛知工業大学

平井 光親(ひらい みつちか、1966年11月8日 - )は、福岡県糟屋郡志免町出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

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東福岡高から愛知工業大学へ進学し、愛知大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部する。大学時代は、2年次の明治神宮大会でエース・西崎幸広(当時4年)の活躍で優勝を経験。通算65試合出場、217打数88安打、打率.406、9本塁打、50打点。首位打者1回、最優秀選手1回、ベストナイン5回受賞。

1988年のプロ野球ドラフト会議ロッテオリオンズから6位指名を受け入団。

プロ1年目の1989年より一軍初出場を果たし、3年目の1991年には外野のレギュラーとなり、打率.314で首位打者を獲得し(後述)、外野手としてベストナインにも選ばれた。以後、シュアな打撃と堅実な守備で活躍した[1]1998年にも打率.320でイチローに次ぐ2位[2]

2002年シーズン限りでの現役引退を表明し、10月18日の引退試合(対近鉄戦)では、門倉健からタイムリーツーベースを放ち、自らの引退に花を添えた。

引退後は、球団編成担当を経て、二軍打撃コーチ補佐を務めた。2008年よりロッテ球団の振興部テクニカルコーチとして、ベースボールアカデミーで海外の提携球団や、千葉県内の野球教室で指導をしていたが、2014年をもってコーチ契約を満了し退団した。

2016年12月22日、2017年1月1日付で母校の愛知工業大学の監督に就任することが発表された[3]

1991年の首位打者争い

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1991年、平井はオリックスの松永浩美と壮絶な首位打者争いを繰り広げる。松永は10月6日に全日程を終了して484打数152安打で打率.3140であり、その時点で平井は342打数108安打で打率.3158で松永を上回っていたが、この時点での打席数は383打席であり、シーズンの規定打席である403打席(当時)に20打席不足していた(松永も自身の最終戦は守備についただけで打席には立っていない)。ロッテは残り7試合を残していたが、平井は最初の3試合で14打席に立ち8打数3安打3四球3犠打で乗り切り、打率.3171(350打数111安打)となった(残り4試合)。この時点で、規定までの残り6打席で少なくとも6打数1安打か、0安打でも3打席以上犠打・犠飛・四死球があれば松永を上回る状況であった。シーズン127試合目は、凡打・四球・犠打で.3162となり、残り3打席で2打数0安打なら打率.3144で平井が首位打者、3打数0安打なら打率.3136で松永が逆転という状況と変わった。シーズン128試合目は、スタメンから外れるも、1回裏に先頭の西村徳文が塁に出ると平井は代打で登場して送りバントを決め、事実上首位打者を確定させた[注 1]。残りの2打席は凡退して規定打席にちょうど到達し交代、松永とわずか4毛差(.3144)で首位打者を獲得した[注 2]。また、シーズン111安打(パ・リーグ20位)は2リーグ制導入以降の首位打者の安打数としては史上最少であった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1989 ロッテ 12 17 17 2 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .176 .176 .176 .353
1990 42 95 83 7 12 4 1 0 18 7 0 0 4 1 7 0 0 15 0 .145 .209 .217 .426
1991 110 403 353 38 111 14 1 4 139 34 4 2 13 1 35 4 1 38 5 .314 .377 .394 .771
1992 99 321 281 21 79 14 4 1 104 32 1 0 5 5 30 0 0 27 2 .281 .345 .370 .715
1993 51 132 120 7 27 9 0 0 36 10 0 0 5 0 7 0 0 20 4 .225 .268 .300 .568
1994 113 419 388 52 109 26 6 5 162 28 0 3 5 2 21 1 3 43 4 .281 .321 .418 .739
1995 127 487 416 45 108 17 4 4 145 49 6 5 18 4 46 1 3 71 5 .260 .335 .349 .683
1996 122 415 357 38 89 16 2 5 124 33 4 6 20 1 36 4 1 52 11 .249 .319 .347 .666
1997 93 280 229 20 56 9 3 5 86 19 1 1 9 2 40 0 0 23 5 .245 .354 .376 .730
1998 116 448 387 59 124 21 0 8 169 35 3 0 13 2 45 3 1 42 4 .320 .391 .437 .827
1999 105 316 261 32 66 19 0 3 94 19 1 1 7 3 43 1 2 46 6 .253 .359 .360 .719
2000 55 123 105 19 32 7 0 3 48 22 0 0 1 1 16 3 0 12 3 .305 .393 .457 .851
2001 21 34 29 3 5 1 0 1 9 5 0 0 0 0 5 0 0 6 2 .172 .294 .310 .604
2002 1 1 1 0 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 2.000 3.000
通算:14年 1067 3491 3027 343 822 158 21 39 1139 294 20 18 100 22 331 17 11 397 51 .272 .343 .376 .720
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

[編集]
初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

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  • 49 (1989年 - 1993年)
  • 2 (1994年 - 1996年)
  • 21 (1997年 - 2002年)
  • 72 (2006年 - 2007年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 第1打席を終了した時点で交代していたとしても、首位打者の例外規定で規定打席に不足する2打席分を凡打と計算しても松永を上回るため。
  2. ^ 規定打席と同数の打席数での首位打者獲得は1975年白仁天1981年藤田平に次いで日本プロ野球史上3例目。

出典

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  1. ^ 年度別成績 1991年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月5日閲覧。
  2. ^ 年度別成績 1998年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月5日閲覧。
  3. ^ 愛知工大野球部監督に平井光親氏 ロッテで首位打者獲得 サンケイスポーツ 2016年12月22日

関連項目

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外部リンク

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