平戸市立紐差小学校
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平戸市立紐差小学校 | |
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北緯33度17分09秒 東経129度28分34秒 / 北緯33.285917度 東経129.476167度座標: 北緯33度17分09秒 東経129度28分34秒 / 北緯33.285917度 東経129.476167度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区紐差小学校 紐差学区公立紐差小学校 尋常紐差小学校 紐差尋常小学校 紐差尋常高等小学校 紐差村国民学校 紐差村立紐差小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 平戸市 |
併合学校 |
平戸市立獅子小学校 平戸市立宝亀小学校 平戸市立大川原小学校 |
校訓 | 敬愛・創造・健康 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)9月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001081 |
所在地 | 〒859-5361 |
長崎県平戸市紐差町665番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
平戸市立紐差小学校(ひらどしりつ ひもさししょうがっこう、Hirado City Himosashi Elementary School)は、長崎県平戸市紐差町にある公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「第五大学区第四中学区紐差小学校」を前身とする。2024年(令和6年)に創立150周年を迎えた。
- 校訓
- 「敬愛・創造・健康」
- 校区
- 住所表記で平戸市の後に「紐差町、深川町、木場町、朶の原町、迎紐差町、草積町、大石脇町(一部)、木ヶ津町、獅子町、春日町、高越町、宝亀町、水垂町(一部)、赤松町、大川原町」が続く地域。中学校は平戸市立中部中学校校区。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)9月19日 - 紐差村・獅子村・宝亀村の三ケ村組合により、「第五大学区第四中学区紐差小学校」が開校。
- 1881年(明治14年)- 獅子分校[1]、宝亀分校[2]を設置。
- 1882年(明治15年)- 「紐差学区公立中等紐差小学校」と改称。大川原分校[3]を設置。
- 1883年(明治16年)- 獅子分校が分離し、公立下等獅子小学校として独立[4]。
- 1884年(明治17年)11月 - 宝亀分校が分離し、簡易宝亀小学校として独立。
- 1886年(明治19年)4月 - 小学校令の施行により、「尋常紐差小学校」(4年制)と改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により紐差村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の改正により、「紐差尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1898年(明治31年)3月 - 高等科を併置し、「紐差尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。
- 1903年(明治36年)3月 - 校舎増築のため、校地を拡張し、3教室を新築。
- 1905年(明治38年)5月 - 木ケ津分教場(後に木ケ津分校)を開設。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長される。これにより修業年限が尋常科6年・高等科2年に改められる。
- 1915年(大正4年)10月 - 紐差実業補習学校を併設。
- 1921年(大正10年)3月 - 高等科の修業年限を3ケ年に延長。
- 1927年(昭和2年)7月 - 校庭の隅に片山記念碑を建立。
- 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令により、附設の実業補習学校を紐差青年学校に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「紐差村国民学校」(初等科6年・高等科2年)と改称。尋常科を初等科に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 1949年(昭和24年)5月30日 - 長崎県立平戸高等学校[6]紐差分校が併設される。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併[7]で平戸市が誕生したことにより、「平戸市立紐差小学校」(現校名)と改称。
- 1956年(昭和31年)4月 - 木造2階建て校舎が完成。
- 1958年(昭和33年)9月 - 大川原分校と木ケ津分校を統合の上、平戸市立大川原小学校として分離・独立[3]。
- 1962年(昭和37年)3月 - 2教室を増築。
- 1967年(昭和42年)3月 - 鉄筋コンクリート造2階建て校舎一棟が完成。
- 1969年(昭和44年)4月 - 平戸市給食センターが設置され、完全給食を開始。
- 1974年(昭和49年)
- 4月 - 体育館が完成。
- 9月 - 創立100周年記念碑を建立。
- 1977年(昭和52年)5月16日 - 長崎県立平戸高等学校紐差教室が廃止。併設を解消。
- 1978年(昭和53年)1月 - 旧・長崎県立平戸高等学校紐差教室の校舎を一部解体。
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 特殊学級(現・特別支援教室)を新設。
- 1981年(昭和56年)2月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎が完成。
- 1990年(平成2年)
- 7月 - ダービースクールとの交流を開始。
- 10月 - プールが完成。
- 1991年(平成3年)6月 - 飼育舎が完成。
- 1992年(平成4年)3月 - 開校記念碑と創立100周年記念碑を校門横に移設。
- 1998年(平成10年)5月 - 月光橋から校門までの歩道が完成。
- 2000年(平成12年)3月 - 新体育館が完成。
- 2001年(平成13年)
- 4月 - 体育倉庫が完成。
- 6月 - 相撲場と学習の森が完成。
- 2002年(平成14年)4月 - ことばの教室を開設。算数で少人数指導を開始。
- 2003年(平成15年)9月 - ホームページを開設。
- 2005年(平成17年)5月 - サイエンスワールド in 紐差を開催。
- 2006年(平成18年)6月 - 学習田看板・防犯看板が完成。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 特別支援学級(弱視)を新設。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)4月1日 - 平戸市立宝亀小学校、平戸市立大川原小学校を統合。スクールバスを2台増便して運行を開始。
- 2023年(令和5年)9月頃 - 紐差小学校グランドの整備工事を開始。
- 2024年(令和6年)
- 3月頃 - グラウンド整備工事を完了。
- 4月 - 開校150周年を迎える。
交通
[編集]最寄りのバス停
- 西肥バス 「紐差」バス停
- 「平戸桟橋〜紐差〜宮の浦線」・「平戸桟橋〜古江〜中野〜ふれあいセンター〜平戸高校線」
- 平戸ふれあいバス(大川陸運)
- 春日線「紐差」バス停
- 大川原線「紐差」、「紐差小学校前」バス停
最寄りの国道・県道
- 国道363号 「紐差」交差点
- 長崎県道60号獅子津吉線
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 獅子小学校の閉校式に参加。(2010年(平成22年)3月20日) - 平戸市ウェブサイト
- ^ 宝亀小学校で閉校式典が開催。(2011年(平成23年)3月13日) - 平戸市ウェブサイト
- ^ a b 大川原小学校で閉校式典が開催。(2011年(平成23年)3月12日) - 平戸市ウェブサイト
- ^ 獅子小学校 閉校(PDF) - 平戸市ウェブサイト
- ^ 1958年(昭和33年)4月に獅子中学校・宝亀中学校・根獅子中学校との統合により、平戸市立中部中学校となった。
- ^ この平戸高等学校は長崎県立猶興館高等学校の前身。現在の長崎県立平戸高等学校は猶興館高校の紐差分校と津吉分校が統合・独立して1975年(昭和50年)に開校した。
- ^ 平戸町・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・津吉村・志々伎村が合併して市制施行し、平戸市が発足。