平時高
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 建久7年(1196年)[1][2] |
死没 | 建長6年3月26日(1254年4月15日)[1] |
官位 | 従二位、蔵人頭 |
氏族 | 桓武平氏高棟流 |
父母 | 父:平親輔[1][2][3]、母:藤原実教娘[2][4] |
兄弟 | 範輔、時高[4] |
子 | 時仲[4] |
経歴
[編集]承元3年(1209年)6月、蔵人に補され、9月に叙爵する[2]。ついで建保3年(1215年)刑部権大輔、貞応3年(1224年)中宮権大進、天福元年(1233年)備中守を経て、嘉禎3年(1237年)皇太宮大進となった[2]。同4年、右少弁に任じ、仁治3年(1242年)には正四位下で蔵人頭に補された[2]。寛元3年(1245年)従三位に昇り公卿に列し、建長5年(1253年)正三位[2]。建長6年(1254年)1月、従二位に昇叙された[2]。建長6年3月26日(1254年4月15日)薨去した[1]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 藤原公定 撰『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 11』吉川弘文館〈故実叢書 第3輯〉、1904年 。
- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。