平野桑四郎
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平野桑四郎 ひらの くわしろう | |
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生年月日 | 1864年6月28日 |
出生地 |
日本 信濃国伊那郡栗矢村 (現・長野県下伊那郡阿智村) |
没年月日 | 1934年7月18日(70歳没) |
所属政党 |
(自由党→) 立憲政友会 |
選挙区 | 長野県第3選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1932年 - 1934年7月18日 |
伍和村長 | |
在任期間 | 1914年 - ? |
長野県会議員 | |
在任期間 | 1894年 - ? |
下伊那郡会議員 | |
在任期間 | 1891年 - ? |
智里村長 | |
在任期間 | 1890年 - ? |
平野 桑四郎(ひらの くわしろう、元治元年5月25日(1864年6月28日) - 1934年(昭和9年)7月18日)は、日本の実業家・政治家。衆議院議員、旧姓は原。
来歴
[編集]信濃国伊那郡栗矢村(現長野県阿智村)生まれ。同郡向関村(現同村)の戸長、平野多郎九の養子となる。旧高遠藩士の高橋白山に漢籍を学ぶ。1890年(明治23年)智里村長、1891年(明治24年)下伊那郡会議員、1894年(明治27年)長野県会議員となる。自由党に入党し自由主義の鼓舞に努め、1914年(大正3年)伍和村長となった後、再び郡会議員や県議を務め、1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬して当選した。
1897年(明治30年)恩田川からの井水開削にあたる。1919年(大正8年)組合製糸「伊那社」の創立とともに社長となり、ほかに伊那電気鉄道重役、長野県農会長、長野県畜産組合連合会長などを歴任した。また三信鉄道の敷設や、産業組合扶桑館の設立に尽力した。電気事業では、天竜川開発を目的とする電力会社天竜川電力が1926年(大正15年)3月に設立されると、地元を代表して山田織太郎とともに監査役に就任する[1]。1931年(昭和6年)11月には合併により矢作水力監査役に転じ[2]、死去まで3年間在任した[3]。