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広信府(こうしんふ)は、中国にかつて存在した府。元末から民国初年にかけて、現在の江西省上饒市一帯に設置された。
1360年、朱元璋により信州路が広信府と改められた。明のとき、広信府は江西省に属し、上饒・玉山・弋陽・鉛山・貴渓・永豊・興安の7県を管轄した[1]。
清のとき、広信府は江西省に属し、上饒・玉山・弋陽・鉛山・貴渓・広豊・興安の7県を管轄した[2]。
1913年、中華民国により広信府は廃止された。
- ^ 『明史』地理志四
- ^ 『清史稿』地理志十三