広島電鉄1050形電車
広島電鉄1050形電車 (車体更新前) | |
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基本情報 | |
製造所 | 梅鉢・東洋[1] |
主要諸元 | |
軌間 | 1435 mm |
車両定員 | 84(着席 44)人[1] |
車両重量 |
20.0t(PR-10搭載車)[1] 21.5t(Q2D搭載車)[1] |
全長 | 14,637[1] mm |
全幅 | 2,464[1] mm |
全高 | 4,220[1] mm |
台車 | ブリル27E-1[1] |
主電動機 | TDK9-C[1] |
主電動機出力 | 37.3kW[1] |
搭載数 | 4[1]基 / 両 |
歯車比 | 59:20[1] |
備考 | 両数:4両 |
広島電鉄1050形電車 (車体更新後) | |
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基本情報 | |
製造所 | ナニワ工機[2] |
主要諸元 | |
軌間 | 1435 mm |
車両定員 | 110(着席 48)人[4] |
車両重量 | 24.0t[3] |
全長 | 15,956[3] mm |
全幅 | 2,640[3] mm |
全高 | 4,230[3] mm |
車体 | 全金属製[3] |
台車 | ブリル27E-1[3] |
主電動機 | TDK9-C[3] |
主電動機出力 | 37.3kW[5] |
搭載数 | 4[3]基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動[6] |
歯車比 | 59:20[6] |
備考 | 両数:4両 |
広島電鉄1090形電車 | |
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基本情報 | |
製造所 | ナニワ工機[7] |
主要諸元 | |
軌間 | 1435 mm |
車両定員 | 114(着席 48)人[8] |
車両重量 |
25.5t(1091・1093)[8] 28.5t(1092・1094)[8] |
全長 | 15,875[8] mm |
全幅 | 2,642[8] mm |
全高 | 4,284[8] mm |
車体 | 全金属製[8] |
台車 | ボールドウィン78-25AA[8] |
主電動機 | HS-314-Ar[8] |
主電動機出力 | 90kW[8] |
搭載数 | 2[8]基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動[7] |
歯車比 | 55:15=3.67[7] |
制動装置 | SME[7] |
備考 | 両数:4両 |
広島電鉄1050形電車(ひろしまでんてつ1050かたでんしゃ)は、1947年(昭和22年)に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄・京阪電鉄が統合した会社)から移籍し、1953年(昭和28年)に車体更新した広島電鉄宮島線専用の電車である。その後、連結改造など行い1982年(昭和57年)に1090形に改番した。市内線(路面電車)の車両に対して床の地表からの高さが高かったため、「高床車」とも呼ばれた。
歴史
[編集]1050形(更新前)時代
[編集]第二次世界大戦後、宮島線の輸送力が切迫してきた[9]ことから、1947年(昭和22年)に運輸省の斡旋により[9]、京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄・京阪電鉄が統合した会社)京阪線(現在の京阪電気鉄道京阪本線およびその支線)の木造車両を4両購入した[9][補足 1]。元々、100型およびその改造車である200型である(戦時中に京阪は阪急に統合されており、再独立したのは1949年)。譲渡された時は元車が異なるために、1051・1052と1053・1054では、制御機器が異なっていた[10]。
1050形(更新後)時代
[編集]1953年(昭和28年)に、ナニワ工機で、前中扉・前面非貫通大型2枚窓の全金属製車体を新造し載せ替えた[10]。その後に製造された1060形との車体の違いは、1050形は前面窓上部に通風器が2カ所設けられている[11]、車体幅が1060形より狭いためにドア部にステップを設けているなど[12]。
新製以来単行運用で使用されていたが、1979年(昭和54年)に1053と1054を連結車に改造[10]。同時に、連結面側の運転台を撤去して片運転台化[10]。制御器の改造[10]、台車をブリル27E-1からボールドウィン78-25AAに交換[10]、通風器の撤去[10]、前面窓左側上部に大型方向幕の設置、前照灯のシールドビーム2灯(いわゆる豚鼻ライト)化を行った[10]。
1980年(昭和55年)10月に、1051と1052が未改造のまま一旦除籍された[補足 2]。
1090形時代
[編集]1982年(昭和57年)8月に[13]、1053と1054が1091・1092に改番[14]。同時に一旦除籍されていた1051と1052の車体を利用し、同様の機器に交換の上片運転台化・連結車化して1093・1094として復活した[15]。これまで元車が異なるために機器が異なっていたが、この改造で機器が統一された。1984年(昭和59年)に、ひろしまシティ電車に対抗する形で[11]三菱MDA方式で冷房化改造[11]され、高床車では唯一の冷房車となった。
しかし宮島線の運用を直通車に統一する方針に基づき、1990年(平成2年)に3900形が登場[16]し、これに交代する形で1990年から1991年にかけて廃車となった[15]。1090形の運行終了で1991年8月で宮島線に残った鉄道車両は消滅した[17]。
1093・1094は冷房機器を3900形へ転用した後、長らく荒手車庫で保管されていたが、2002年にアメリカの博物館での車両(ポートランド・ルイストン・インターアーバン線のナルシサス号)復元に当たって台車を提供するために解体された。
各車状況
[編集]1050形 時代車番 |
1090形 時代車番 |
京阪神急行 時代車番 |
広電入線 | 車体更新 | 冷房改造 | 廃車日 | 備考 |
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1051 | 1093 | 229 | 1947年2月[18] | 1954年1月27日[19] | 1984年12月26日[20] | 1991年12月17日[13] | 1980年12月31日廃車(車籍抹消)[21] 1982年車籍復活[13] |
1052 | 1094 | 230 | 1947年2月[18] | 1954年1月28日[19] | 1984年12月26日[20] | 1991年12月17日[13] | 1980年12月31日廃車(車籍抹消)[21] 1982年車籍復活[13] |
1053 | 1091 | 109 | 1947年2月[18] | 1953年12月26日[19] | 1984年12月4日[20] | 1990年6月15日[13] | 1982年8月10日車番変更[13] |
1054 | 1092 | 111 | 1947年2月[18] | 1953年12月29日[19] | 1984年12月4日[20] | 1990年6月15日[13] | 1982年8月10日車番変更[13] |
脚注
[編集]補足
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 私鉄車両めぐり 山陽・山陰』66ページ
- ^ 『鉄道ビクトリアル1994年9月号(No.595)』71ページ
- ^ a b c d e f g h 『広島の路面電車65年』180ページ
- ^ 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』159ページ
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 私鉄車両めぐり 山陽・山陰』67ページ
- ^ a b 『広島の路面電車65年』181ページ
- ^ a b c d 『私鉄の車両3 広島電鉄』135ページ
- ^ a b c d e f g h i j k 『私鉄の車両3 広島電鉄』134ページ
- ^ a b c 『広島電鉄開業100年・創立70年史』126ページ
- ^ a b c d e f g h 『私鉄の車両3 広島電鉄』84ページ
- ^ a b c 『私鉄の車両3 広島電鉄』85ページ
- ^ 『私鉄の車両3 広島電鉄』92ページ
- ^ a b c d e f g h i 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』160ページ
- ^ 『私鉄の車両3 広島電鉄』92・93ページ
- ^ a b 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』79ページ
- ^ 『鉄道ビクトリアル1994年10月号(No.596)』100ページ
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』226ページ
- ^ a b c d 『広島の路面電車65年』188ページ
- ^ a b c d 『私鉄の車両3 広島電鉄』155ページ
- ^ a b c d 『私鉄の車両3 広島電鉄』149ページ
- ^ a b 『私鉄の車両3 広島電鉄』160ページ
参考文献
[編集]- 『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』(JTBパブリッシング・寺田裕一) ISBN 4533047181
- 『私鉄の車両3 広島電鉄』( 保育社・飯島巌) ISBN 4586532033
- 『広島の路面電車65年』(毎日新聞ニュースサービス社・広島電鉄)
- 『鉄道ビクトリアル』1994年9月号(No.595)
- 『鉄道ビクトリアル』1994年10月号(No.596)
- 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 私鉄車両めぐり 山陽・山陰』
- 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄株式会社社史編纂委員会編、2012年11月