広島電鉄600形電車 (2代)
広島電鉄600形電車 | |
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601号(2代目) 同車は2001年に廃車となっている。 (江波車庫 1999年1月22日) | |
基本情報 | |
製造所 | 汽車製造 |
主要諸元 | |
軌間 | 1435 mm |
車両定員 | 80(着席40)人 |
車両重量 |
16.40t(冷改前) 17.90t(冷改後) |
全長 | 13,620 mm |
全幅 | 2,400 mm |
全高 | 3,950 mm |
台車 |
K-10型(601-603冷改前) 大阪市電型(601,602冷改後) |
主電動機 | TDK-524/2 |
主電動機出力 | 45kW×2 |
駆動方式 | 吊り掛け式 |
制御装置 | KR-8 直接式 |
制動装置 | SM-3 直通制動 |
備考 |
半鋼製 両数:3両 スペックデータ、各車状況は『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』P.155及び『私鉄の車両3 広島電鉄』、『いこま 16 広島電鉄』P.31に基づく |
広島電鉄600形電車(ひろしまでんてつ600かたでんしゃ)は、1977年に西鉄北九州線から移籍、在籍中の広島電鉄の路面電車車両である。西鉄北九州線時代は、北九州線500形電車を、初代600形については広島電鉄600形電車 (初代)を参照のこと。
概要
[編集]1976年の西鉄福岡市内線路線縮小に伴うワンマンカーの移籍、また車長が長い関係でワンマンカーへの改造対象から外れていた500形のうち、3両が広電に移籍された。本形式が導入された事情として、1975年に千田車庫の火災で廃車になった車両が発生し、その不足分を補う目的、ワンマンカー化の推進の目的で導入された[1]。
移籍の際の改造点は、西鉄時代の折戸両端扉を引戸前中扉に変更した上でワンマンカー化。細部は正面中央窓の固定、ライト取替えなど行われている。改造内容は他の形式と比較して相当多い。塗装は西鉄北九州線色と一般には言われているが、入線時はむしろ旧大阪市電色に近いような色で、明らかに西鉄色とは異なっていた。
1983年に601(初代)が交通事故に巻き込まれ、同年の10月に廃車され603が601(2代目)に改番。それ以外の車両は1984年4月に三菱電機の直流交流変換駆動方式(三菱MDA方式)CU77A集中型(21,000kcal/h×1)による冷房改造、方向幕の大型・電動化、台車を入線時に着けていたK-10型を大阪市電型に交換が行われた。
その後も運用されたが、601(2代目)は不具合が多く乗務員から不評で、2001年に廃車。現在は602のみが朝のラッシュ時に活躍しているが稼働率が極めて低い。一説には車体前後が絞られているため、他形式に比べ後方監視に支障があるといわれている。旧型各形式の淘汰が進む中、残る1両についても動向が注目されている。
各車状況
[編集]車番(広電) | 車番(西鉄) | 竣工(西鉄) | 竣工(広電) | 冷房改造 | 所属車庫 | 備考 |
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601(初代[注 1]) | 501 | 1948年10月 | 1977年2月15日 | 未実施 | 1983年10月31日廃車 | 事故で廃車 |
602 | 502 | 1984年4月24日 | 江波車庫所属 | 2023年1月にパンタグラフがシングルアームに改造 | ||
603→ 601(2代目[注 2]) |
504 | 2001年2月24日廃車 | 1983年に改番 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『私鉄の車両3 広島電鉄』P.40,41
参考文献
[編集]- 寺田裕一『ローカル私鉄車両20年 路面電車・中私鉄編』、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 4-533-04718-1
- 長船友則『広電が走る街今昔』、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 4-533-05986-4
- 飯島巌『私鉄の車両3 広島電鉄』、保育社 ISBN 4-586-53203-3
- 大阪産業大学鉄道研究部『いこま 16 広島電鉄』非売品
- 『広島の路面電車65年』(毎日新聞ニュースサービス社・広島電鉄)