庄川峡長崎温泉
庄川峡長崎温泉 | |
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温泉情報 | |
所在地 | 富山県南砺市利賀村長崎字川戸山 |
泉質 | アルカリ性単純温泉 |
泉温(摂氏) | 25.9 °C |
湧出量 | 約130 L/分(動力揚水) |
pH | 9.45 |
庄川峡長崎温泉(しょうがわきょうながさきおんせん)は、富山県南砺市利賀村長崎字川戸山に所在する温泉[1]。
本項では、前身となる新大牧温泉(しんおおまきおんせん)についても記述する。
歴史
[編集]1971年の長崎大橋開通時、当時全戸離村し無人となっていた北原・長崎地区であるが[2]、1973年、庄川観光がこの地に大牧温泉から引湯した温泉を有するホテル(計3棟、300人収容)を誘致し、さらに温泉付き別荘分譲地を造成するなどし、さらに利賀村(当時)に対しスキー場の建設やユースホステスまたは国民宿舎の誘致、道路と橋梁の整備、診療所と駐在所の設置などを要望し、新大牧温泉と称する一大温泉村を開発する計画を発表した(スキー場は後に建設困難の為頓挫)[3]。
その後、計画はトナミ商事に引き継がれ[2]、難工事の末、1975年に北原荘の上手まで7kmの引湯に成功し[4]、1977年5月22日には引湯式が執り行われた[5]。しかし引湯に巨額をかけたためホテル建設は中止となり、分譲地も売れず、利賀村当局でも民宿経営者を探し回る事になった[6]。
当初は『長崎温泉』という名称であったが、民宿『ながさき家』に有利になることを考慮し、『新大牧温泉』と呼ぶようになった[7]。
2004年秋の平成16年台風第23号により、大牧温泉からのポンプ設備などが壊れ、以降温泉が使えないままの営業を余儀無くされた[8]、このため5軒の旅館、民宿が出資し[8]、2005年末から北原荘の前で温泉の掘削工事を行い[9]、2006年8月10日のポンプの試運転を以て新たな源泉の使用が開始された。これ以降、温泉名も『庄川峡長崎温泉』と名乗るようになった[8]。
温泉諸元(庄川峡長崎温泉)
[編集]大牧温泉からの引湯時代は含石膏弱食塩泉であった[7]。
温泉街
[編集]5軒の利用許可施設(北原荘、利賀乃家、民宿茂兵衛、ながさき家、古民家の宿おかべ)が存在する[1]。かつては民宿の勇山荘(1979年開業)も存在していた[10]。
- 古民家の宿おかべ
- 岡部組の老夫婦が離村後に留守番として使用していた施設を、引湯時の工事作業員の宿舎を経て、1979年6月(一部資料では1978年[10]、または1983年8月[13])に湯権を取得し、『民宿岡部』を開く[6]。
当地区では1993年から毎年4月に長崎で口山地区温泉さくら祭りが開催されている[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『富山の日帰り湯 銭湯 サウナ 温泉 100』(2024年7月11日、北日本新聞社発行)143頁。
- ^ a b 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社発行)365頁。
- ^ 『利賀村史 3 近・現代』(2004年10月31日、利賀村発行)465頁。
- ^ 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社発行)365 - 366頁。
- ^ 『利賀村史 3 近・現代』(2004年10月31日、利賀村発行)1090頁。
- ^ a b c d 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社発行)366頁。
- ^ a b 『富山いで湯風土記』(1989年9月1日、岡田正二著、北日本新聞社発行)367頁。
- ^ a b c 『北日本新聞』2006年8月11日付朝刊28面『利賀・新大牧温泉 名勝「庄川峡長崎温泉」に 民宿5軒源泉掘削 美肌効果が自慢 自前の湯で再出発』より。
- ^ 『北日本新聞』2006年2月15日付朝刊30面『ふるさと風土記719 南砺市利賀地域 真っ白に雪化粧した山里で8 口山地区 観光拠点へ 温泉に期待』より。
- ^ a b c d e f g 『利賀村史 3 近・現代』(2004年10月31日、利賀村発行)466頁。
- ^ a b 『富山お湯道楽ふるこ~す』(2003年4月7日初版、2004年4月7日増補発行、北日本新聞社)188頁。
- ^ 『マニアックに遊ぶティープな富山情報誌 ロカルちゃ!富山 アニメ・まんが編』(2013年7月、富山県発行)5頁『\富山のアッカリーン/ ゆるゆり♪♪ 南砺市エリア【NANTO】』より。
- ^ 『富山お湯道楽ふるこ~す』(2003年4月7日初版、2004年4月7日増補発行、北日本新聞社)193頁。
外部リンク
[編集]- 庄川峡長崎温泉 北原荘(公式)
- 利賀乃家(公式)
- 古民家の宿 おかべ(公式)