コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田川市立弓削田小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弓削田小学校から転送)
田川市立弓削田小学校
地図北緯33度38分13.3秒 東経130度47分05.5秒 / 北緯33.637028度 東経130.784861度 / 33.637028; 130.784861座標: 北緯33度38分13.3秒 東経130度47分05.5秒 / 北緯33.637028度 東経130.784861度 / 33.637028; 130.784861
過去の名称 第二大区第五小区見立小学校
公立弓削田小学校
尋常弓削田小学校
弓削田尋常小学校
弓削田尋常高等小学校
後藤寺西尋常高等小学校
後藤寺西国民学校
田川市立後藤寺西小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 田川市
併合学校 田川市立船尾小学校
校訓 強い子ども
元気な体
きまりを守り正しい行い
進んで勉強をやりぬく心
設立年月日 1876年明治9年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B140220600023 ウィキデータを編集
所在地 826-0041
福岡県田川市弓削田499番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

田川市立弓削田小学校(たがわしりつ ゆげたしょうがっこう)は、福岡県田川市弓削田に位置する公立小学校

概要

[編集]
歴史
1876年明治9年)に「見立小学校」として設立された。数回の改組・改称を経て、現校名となったのは1950年昭和25年)。 2026年令和8年)に創立150周年を迎える。
校訓
「強い子ども・元気な体・きまりを守り正しい行い・進んで勉強をやりぬく心」
校歌
歌詞は2番まであり、2番の歌詞中に校名の一部「弓削」が登場する。
通学区域
住所表記で田川市の後に「川宮、新川宮、籾井、奈良、野上、新野上団地、江田、上弓削田、下弓削田、文字山団地、角銅原、見立、下見立、産業」が続く地区。中学校区は田川市立田川西中学校

沿革

[編集]
  • 1876年(明治9年)1月- 田川郡見立村の民家を借用の上、「第二大区第五小区 見立小学校」が創立。
  • 1883年(明治16年)- 下弓削田村の民家に移転の上、「公立弓削田小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常弓削田小学校」に改称。
  • 1888年(明治21年)3月 - 下弓削田村に校舎1棟を新築し、移転を完了。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、田川郡3村(弓削田・奈良・川宮)が合併の上、「弓削田村」が発足。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「弓削田尋常小学校」に改称。
  • 1896年(明治29年)- 校舎1棟を増築。
  • 1900年(明治33年)- 奈良に仮分教場を設置の上、尋常科1年生を収容する。
  • 1902年(明治35年)7月 - 仮分教場の教室を増築の上、尋常科1・2年生を収容。
  • 1903年(明治36年) - 奈良の仮分教場が「奈良尋常小学校」(4年制)として独立。
  • 1907年(明治40年)4月1日 - 弓削田村が町制施行の上、「後藤寺町」となる。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1912年(明治45年)4月 - 高等小学校を運営する学校組合の解散により、高等科を併置の上、「弓削田尋常高等小学校」に改称(尋常科6年・高等科2年)。
  • 1937年(昭和12年)4月 - 「後藤寺西尋常高等小学校」に改称。
  • 1938年(昭和13年)6月 - 火災により、校舎1棟を焼失。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「後藤寺西国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1943年(昭和18年)11月3日 - 2町(伊田・後藤寺)合併により、田川市が発足。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
      • 国民学校初等科は、新制小学校「田川市立後藤寺西小学校」に改組・改称。
      • 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「田川市立弓削田中学校」に改組・改称。当初、小学校に併設される。
    • 10月 - 学校図書館を設置。
  • 1948年(昭和23年)- 給食を開始。
  • 1949年(昭和25年)
    • 4月1日 - 「田川市立弓削田小学校」(現校名)に改称。
    • 9月 - 中学校校舎の完成により、併設を解消。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 田川市立船尾小学校が分離。産業地区・見立地区の児童が転出。
  • 1956年(昭和31年)6月 - 田川市公民館弓削田支館が併設される。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 田川市立船尾小学校を統合。
旧・船尾小学校(ふなお)[1]
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 田川市立弓削田小学校から分離の上、「田川市立船尾小学校」が新設される。産業地区・見立地区の児童を収容。
  • 1958年(昭和33年)- 麻生産業田川工場から講堂が寄贈される。
  • 1960年(昭和35年)- 校訓・校歌を制定。
  • 1966年(昭和41年)- 図書館が完成。
  • 1973年(昭和48年)- プールが完成。
  • 1984年(昭和59年)- 新校舎が完成。
  • 1989年(平成元年)- 屋内運動場が完成。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月22日 - 閉校式を挙行。
    • 3月31日 - 田川市立弓削田小学校への統合により、閉校。
      • 最終所在地 - 〒826-0041 福岡県田川市弓削田2838番地
      • 校歌 - 歌詞は3番まであり、1番と3番の歌詞中に校名の「船尾」が登場する。
      • 跡地の活用 - 体育館は「田川市船尾武道館」として利用されている。

交通アクセス

[編集]
最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

周辺

[編集]
  • 九州電力送配電田川変電所
  • 田川市弓削田隣保館
  • 旧・田川市立弓削田中学校

脚注

[編集]
  1. ^ 「ありがとう船尾小学校」 (PDF) - 田川市ウェブサイト

参考資料

[編集]
  • 「田川市誌」(1954年(昭和29年)12月1日発行, 田川市)p.355~p.357
  • 「田川市史」(1976年(昭和51年)3月1日発行, 田川市)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]