徳大寺斉定
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徳大寺 斉定 徳大寺家 | |
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続柄 | |
出生 |
1921年10月 |
死去 |
1946年3月 |
配偶者 | 美智子女王 |
父親 | 徳大寺実厚 |
母親 | 徳大寺米子[注釈 1] |
徳大寺 斉定(とくだいじ なりさだ、1921年〈大正10年〉7月[1] - 1946年〈昭和21年〉3月[1])は、日本の華族、賀陽宮恒憲王第1王女である賀陽美智子の夫。公家としての家格は清華家。徳大寺実厚の次男であり、徳大寺公英の弟。
略歴
[編集]1943年(昭和18年)12月9日、平安神宮宮司で貴族院議員の徳大寺実厚公爵の次男・徳大寺斉定陸軍中尉と美智子女王との結婚が勅許。29日に美智子女王と結婚するが、1945年(昭和20年)9月、離婚した[1]。
二人の間に子供は生まれなかった。その後、斉定は1946年3月に戦病死した[1]。
系譜
[編集]東山天皇 | 中御門天皇 | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直仁親王 | 典仁親王 | 光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | 大正天皇 | 昭和天皇 | 明仁上皇 | 今上天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷹司輔平 | 鷹司政煕 | 鷹司政通 | 鷹司輔煕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
德大寺公純 | 德大寺實則 | 德大寺公弘 | 德大寺實厚 | 德大寺斉定 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 係累縁者が多数に上るため、東山天皇以降の歴代天皇および関連する男系男子の人物を記載した。そのため、母方の系図は省略している。
- 遠祖の閑院宮直仁親王は、東山天皇の第六皇子として生まれ、閑院宮家を興した[2]。
- 遠祖の鷹司輔平は、閑院宮直仁親王の第四王子として生まれ、鷹司基輝の養子となり、鷹司家を継承した[2]。
- 高祖父の德大寺公純は、鷹司輔煕の子として生まれ、德大寺實堅の養子となり、德大寺家を継承した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。