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徳田たつ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳田たつ

徳田 たつ(とくだ たつ、1898年3月5日 - 1989年9月6日)は、日本政治運動家革命家徳田球一の妻であり、従兄・耕作の未亡人であった。

経歴

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静岡県出身。旧姓金原。はじめ徳田球一の従兄である徳田耕作と結婚したが、のちに徳田球一と再婚。死後は球一と同じ墓所で眠る。

1927年2月26日徳田球一が三・一五事件で逮捕される。1946年、出獄した徳田球一と結婚。

1953年10月14日、徳田球一は北京で客死したが、彼の死は1955年まで明かされなかったため、同年8月25日志賀義雄とともに、遺骨受け取りに訪中。

1962年毛沢東中国共産党の招きにより1972年まで中国に滞在。宮本顕治を弾劾し、文化大革命を支持した。

1982年日本共産党(行動派)が挙行した革命英雄記念祭に参列。同年、丹野セツと徳田・渡政会結成、相談役に就任。1984年、日本共産党(行動派)第6回全国協議会に参加するなど、以降共闘関係にあった。墓所は多磨霊園

関連文献

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  • 「対談『革命家の妻』 野坂龍 vs 徳田たつ」(『改造』1947年11月号 所収)

外部リンク

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