コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

徳田一穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳田 一穂(とくだ かずほ、1903年7月 - 1981年7月2日)は、東京生まれの小説家徳田秋声の長男。

略歴

[編集]

小説家徳田秋声の長子として、明治36年(1903年)7月、東京府東京市本郷(当時)に生まれる。出生届の記載は明治37年(1904年3月20日であるが、野口冨士男が『徳田秋聲傳』において彼の誕生を明治36年7月と比定して以来、これが定説となり、最新の研究成果を反映した八木書店版『徳田秋聲全集』別巻の年譜でも、明治36年説を踏襲している。

誕生以来、秋声の私小説の大半に登場しており、秋声作品を系統的に読めば、その前半生をかなり詳細に辿ることが出来る。

幼少から虚弱体質で、常々父親から意志の弱さを指摘される。第四高等学校の受験に失敗し、大正13年(1924年慶應義塾大学文学部に入学するも、中途退学。その後は定職に就かず、SPレコードによるクラシック音楽の鑑賞、外国映画やボードレールコクトーヴァレリーなどのフランス文学への耽溺、といったディレッタントdilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)的生活を送る。昭和7年(1932年)秋声会機関誌「あらくれ」の編集発行人となる。

昭和10年(1935年1月玉の井の娼妓を救い出して自宅に匿い、父秋声が事後処理に奔走するという事件が起こる[1]。この体験をもとに、『縛られた女』『鰺ケ沢』『無心邂逅』などの短編を発表した。それら一連の作品は、小説集『縛られた女』(1938年6月10日発行)、『女の職業』(1939年4月12日発行)、『取残された町』(1939年12月10日発行)に収められ、小説家としての地歩を固めた。

牧野信一は、一穂の短編小説(「遊び仲間」「怠け者」)を

徳田一穂氏の近頃のものは、一連を成す主観的なものであり、僕が読んだ限りでは全部佳作であつた。生活といふものに対して、随分と凝つた眼の所有者であり、淡々と叙してゐる中に、実にも鋭敏なる神経が隈なく行き渡り、理解力の典雅さに充ち、透明度も深く、そして視野計の狂ひなどは何処にも見出せなかつた。(中略)何気ない短篇でありながら、読む者をして舌を巻かせる類ひの力量を示したもので感心した。

と高く評価している[2]

昭和14年(1939年)には、1月創刊の同人雑誌「文学者」[3]の同人に名を連ねた。

その後の作品集には、『花影』(1940年7月10日発行)、『受難の芸術』(評論・随筆・訪問録、1941年9月20日発行)、『北の旅』(1942年9月20日発行)がある。

昭和18年(1943年)の秋声の死後、小説家としては僅かの短篇小説を発表するにとどまった。卯辰山に秋声文学碑が建つまでを描いた実名小説『碑と未亡人』(「新潮」1954年11月)が最後の小説作品である[4]

後半生は秋声遺宅を守り、秋声の日記(抄)の紹介[5]や雪華社版・臨川書店版『秋聲全集』の編纂のほか、秋声関係の随想や解説文などを残している。墓所は小平霊園(23-27-29)。

単行本リスト

[編集]
  • 『縛られた女』砂子屋書房、1938年.
    • 縛られた女/鰺ケ沢/白い姉妹/通信員/花影/遊び仲間/年賀状/臆病神/初恋物語/花結び/花粉/ネクタイ/余韻/夜の庭/瑕ある海
  • 『女の職業』赤塚書房、1939年.
    • 兄弟/春泥/白い姉妹/女の職業/借家探し/靴/怠け者/痛い目
  • 『取残された町』青木書店、1939年.
    • 無心邂逅/麒麟館/並木の病葉
  • 『花影』人文書院、1940年.
    • コマ/縛られた女/鰺ケ沢/急行券/麒麟館/結婚/花影/年賀状/遊び仲間/通信員
  • 『受難の芸術』豊国社、1941年.
    • 感想・随筆/文学の周囲/季節の晴曇/訪問録
  • 『北の旅』桜井書店、1942年.[6]
    • 北の旅/いが栗頭/一つの峠/藤の咲く頃/海の風/寝台車/帰らぬ昔/脇道
  • 『白い姉妹』地平社〈手帖文庫、第2部第13〉、1947年.[7]
    • 白い姉妹/女の職業/春泥/兄弟/借家探し/靴
  • 『秋聲と東京回顧―森川町界隈』日本古書通信社、2008年.[8]
    • 森川町界隈/道草/大学界隈(徳田秋聲)/父への想い(徳田章子)/徳田一穂の“日和下駄”(小林修)/徳田一穂著書目録
  • 『秋聲の家―徳田一穂作品集』大木志門 編、徳田秋聲記念館文庫、2020年.
    • 年賀状/鯵ヶ沢/一つの峠/墓参/碑と未亡人/父と自分/芥川龍之介/感傷の旅/父との近影/父〝秋聲〟のこと/父の姿/思い出の一齣/父秋聲と音楽/出発はこれから/父秋聲の家/秋聲の家―父の「黴」を読んでた私にこう言った/父の思い出/『一つの好み』あとがき/『縮図』跋・追記/『古里の雪』あとがき/著作目録
  • 『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』大木志門 編、龜鳴屋、2021年.
    • 幕間/瑕ある海 ――Poissons de la mélancolie/縛られた女/無心邂逅/北の旅/粉雪/随想42編/本郷森川町の家[写真集](小幡英典)/「黴」の子、街の子、徳田一穂(大木志門)/徳田一穂著作目録(増補版)

脚注

[編集]
  1. ^ 秋声は昭和10年(1935年5月1日発表の短編小説『二つの現象』でこの事件を書いている。
  2. ^ 読売新聞』第20909号「月評二 新人の佳作、凡作」、1935年4月27日
  3. ^ 文学者編輯所(編)、「文学者」発行所(刊)、上田屋書店(発売)、昭和14年(1939年)1月–昭和16年(1941年)3月。同人は、浅野晃板垣直子伊藤整大鹿卓岡田三郎尾崎一雄尾崎士郎上泉秀信窪川鶴次郎榊山潤田辺茂一、徳田一穂、徳永直楢崎勤丹羽文雄春山行夫福田清人本多顕彰水野成夫室生犀星和田伝
  4. ^ 大木志門「「黴」の子、街の子、徳田一穂」(『街の子の風貌 徳田一穂 小説と随想』龜鳴屋、2021年)
  5. ^ 一穂は秋声の日記帳類を取り集め、一括して保存したものが27冊に及んだという。しかし、現在それらの日記類原本は所在不明となっており、八木書店版全集にも一穂が抜粋した部分しか収められていない(『徳田秋聲全集』別巻、解題)。
  6. ^ 昭和22年(1947年)、喜久屋書店より再刊。
  7. ^ 過去作品の再編本。
  8. ^ 「森川町界隈」「道草」は、昭和53年(1978年)10月から昭和56年(1981年)5月まで、「森川町界隈」の表題のもとに、前者が4回、後者が28回の計32回にわたって『日本古書通信』に連載された。

外部リンク

[編集]