念林宅成
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念林 宅成(ねんりん の やかなり、生没年不詳 )は、奈良時代の人物。経師。姓はなし。
経歴
[編集]淳仁朝の天平宝字7年(763年)4月、東大寺写経所で七百巻経の書写に従っている[1]。
称徳朝の神護景雲4年(770年)6月、一族の奉写一切経司主典の念林老人によって、経師として貢進されている[2]。7月には、障あるにより請暇(臨時の休暇を申請すること)3日[3][4]。8月には、身力堪えざるにより請暇5日[5][4]と見える。
光仁朝の宝亀2年(771年)3月、奉写一切経所より布施布を給せられ[6]、調布一端を質にして月借銭260文を借りている[7]。5月、夏浄衣を充てられ[8]、同3年(772年)4月、月借銭1貫200文を借りている[9]。6月、疫痢病にかかり請暇2日と見え[10][11]、7月、月借銭200文を借りている[12]、9月、給料を質として月借銭500文を借りている[13]。12月、大坂広川と同心して、布施料調綿を質として月借銭500文を借りている[14]。この年、200文を借りている[15]。同4年(773年)正月、上述の広川とともに、月借銭1貫文を借りている[16]。6月、奉写一切経所より布施布を給せられ[17]、9月[18]、10月[19]も同じように記されており、12月、奉写一切経所より題師として布施布を給せられている[20]。このほか、年月不詳の借銭請用経師歴名にも見える[21]。
以上のほか、写経に従ったことは、以下の通りである。
- 神護景雲4年・宝亀元年(770年)7月[22]。10月[23]。同年[24]。
- 宝亀2年(771年)2月[25]。3月[26]。4月[27]。5月[28]。9月[29]。
- 宝亀3年(772年)2月[30]。3月[31]。4月[32]。5月[33]。7月[34]。8月[35]。9月[36]。11月[37]。同年[38]。
- 宝亀4年(773年)6月[39]。8月[40]。10月[41]。閏11月[42]。
- 年月不詳[43]。
その手実については、
- 神護景雲4年・宝亀元年(770年)7月[44]。9月[45]。10月[46]。11月[47]。12月[48]。
- 宝亀2年(771年)2月[49]。3月[50]。5月[51]。
- 宝亀3年(772年)2月[52]。3月[53]。5月[54]。7月[55]。8月[56]。9月[57]。10月[58]。11月[59]。
- 宝亀4年(773年)3月[60]。5月[61]。6月[62]。8月[63]。9月[64]。10月[65]。閏11月[66]。12月[67]。
- 宝亀5年(774年)2月[68]。3月[69]。5月[70]。7月[71]。9月[72]。10月[73]。11月[74]。12月[75]。
に現れている。
官歴
[編集]『大日本古文書』による
脚注
[編集]- ^ 『大日本古文書』巻五 - 431頁、巻十六 - 369頁
- ^ 『寧楽遺文』下巻533頁、『大日本古文書』巻十七 - 198頁
- ^ 『寧楽遺文』下巻583頁
- ^ a b 『大日本古文書』巻十七 - 562頁
- ^ 『寧楽遺文』下巻586頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 132頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 211頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 78頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 314頁、巻廿五 - 353頁
- ^ 『寧楽遺文』下巻603頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 75頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 310頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 301頁、巻廿五 - 358頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 424頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿五 - 360頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 468頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 530頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 201頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 550頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 566頁、巻廿二 - 374頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 124頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 247頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 258頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 108頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 273頁・275頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 37頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 407頁・408頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 307頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 60頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 205頁・255頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 207頁から209頁・257頁、巻廿一 - 12頁・13頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 210頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 211頁・212頁・260頁、巻廿一 - 34頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 214頁・264頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 3頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 215頁
- ^ 『大日本古文書』巻六 - 217頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 2頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 354頁、巻廿二 - 4頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 407頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 216頁・217頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 410頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 219頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 223頁・546頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 216頁
- ^ 『大日本古文書』巻十七 - 532頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 79頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 101頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 51頁・200頁・204頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 41頁・183頁
- ^ 『大日本古文書』巻十八 - 270頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 292頁・345頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 270頁・330頁・335頁・417頁・495頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 401頁・466頁、巻廿 - 32頁・42頁
- ^ 『大日本古文書』巻十九 - 388頁・425頁・430頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 164頁・217頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 236頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 180頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 101頁・248頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 249頁・388頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿 - 361頁、巻廿一 - 358頁・592頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 540頁、巻廿二 - 2頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 441頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 428頁、巻廿二 - 161頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 152頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 135頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 129頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 115頁・267頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 96頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 61頁・236頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 382頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 446頁・477頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 438頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 24頁・87頁・101頁
- ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 81頁