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念林老人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

念林 老人(ねんりん の おきな、生没年不詳 )は、奈良時代の人物。経師はなし。官位は奉写一切経司主典正八位上

出自

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念林氏は出自は未詳で、渡来系氏族と考えられている。8世紀前半から後半にかけて皇后宮職写経所東大寺写経所などに出仕し、経師として経典の書写などに従事したものが多い。この老人のほかにも、神護景雲4年(770年)6月には近親者と思われる念林宅成が経師として貢進されている。

経歴

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聖武朝天平11年(733年)4月、写経所に服仕して、布施銭を充てられている[1]天平感宝元年(743年)閏5月、千部法花経を充てられ[2]、同年6月、写経検定帳に見え[3]、また上紙注文にも見える[4]

淳仁朝天平宝字4年(760年)9月、奉写一切経所より請暇(臨時の休暇を申請すること)の限がすぎて召され[5]、同5年(761年)4月、上所より布施布を給されて[6]、同6年(762年)閏12月[7]よりより同7年(763年)2月[8]の間に、二部大般若経本充帳に見え、同7年4月、七百巻経本充帳にも見え[9]、同経料筆直を充てられ[10]、また仁王経を写し、綿を充てられて[11]、同8年(764年)9月、浄衣、筆墨直を充てられている[12]

称徳朝神護景雲2年(768年)閏6月[13]、8月[14]、9月[15]、11月[16]、12月[17]はいずれも奉写一切経司に主典・正八位上として署している。同4年(770年)6月、一族の念林宅成を経師として貢進している[18][19]

光仁朝宝亀3年(772年)3月、墨を充てられ[20]、また奉写大乗経律論目録に名前が見え[21]、以後、奉写一切経所に服仕している。4月、借銭300文を借り[22]、8月、さらに1貫文を借りている[22]。9月、さらに120文を借り、時に番上(非常勤)と記されている[23]。12月、桑内真大宅の被進納の証と見え[24]、同4年(773年)3月、奉写一切経所より布施布を給せられ[25]、6月[26]、9月[27]、10月[28]、この年[29]ともに同様に記されている。

同6年(775年)12月の丸部人主手実(個人が実情を申告した文書)に「佐官」とあり[30]、年月は未詳であるが、月借銭500文を借り、「主典」と記されている[31]。また、造東大寺司散位従六位下と記されているが、抹消されてもいる[32]

奉写一切経所における写経のことは、以下の通りである。

その手実については、

に現れている。

官歴

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大日本古文書』による

脚注

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  1. ^ 『大日本古文書』巻二 - 162頁
  2. ^ 『大日本古文書』巻三 - 230頁
  3. ^ 『大日本古文書』巻三 - 249頁
  4. ^ 『大日本古文書』巻十一 - 106頁
  5. ^ 『大日本古文書』巻十四 - 444頁
  6. ^ 『大日本古文書』巻十五 - 114頁
  7. ^ 『大日本古文書』巻十六 - 165頁・166頁
  8. ^ 『大日本古文書』巻十六 - 108頁
  9. ^ 『大日本古文書』巻十六 - 368頁・369頁
  10. ^ 『大日本古文書』巻五 - 415頁・421頁
  11. ^ 『大日本古文書』巻十六 - 430頁
  12. ^ 『大日本古文書』巻十六 - 524頁・532頁
  13. ^ 『大日本古文書』巻五 - 697頁
  14. ^ 『大日本古文書』巻五 - 698頁
  15. ^ 『大日本古文書』巻五 - 699頁、巻十七 - 85頁
  16. ^ 『大日本古文書』巻十七 - 141頁
  17. ^ 『大日本古文書』巻十七 - 135頁
  18. ^ 『寧楽遺文』下巻533頁
  19. ^ 『大日本古文書』巻十七 - 198頁
  20. ^ 『大日本古文書』巻六 - 257頁
  21. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 2頁・12頁
  22. ^ a b 『大日本古文書』巻十九 - 310頁
  23. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 313頁
  24. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 501頁
  25. ^ 『大日本古文書』巻六 - 488頁
  26. ^ 『大日本古文書』巻六 - 525頁
  27. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 196頁
  28. ^ 『大日本古文書』巻六 - 545頁
  29. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 208頁
  30. ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 521頁
  31. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 123頁
  32. ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 172頁
  33. ^ 『大日本古文書』巻六 - 210頁
  34. ^ 『大日本古文書』巻六 - 211頁、巻十九 - 597頁、巻廿 - 65頁
  35. ^ 『大日本古文書』巻六 - 262頁、巻廿 - 66頁
  36. ^ 『大日本古文書』巻六 - 213頁、巻廿一 - 3頁
  37. ^ 『大日本古文書』巻六 - 214頁、巻廿一 - 49頁
  38. ^ 『大日本古文書』巻六 - 266頁
  39. ^ 『大日本古文書』巻六 - 217頁
  40. ^ 『大日本古文書』巻六 - 270頁、巻十九 - 498頁・507頁・512頁、巻廿 - 68頁
  41. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 14頁・34頁・36頁
  42. ^ 『大日本古文書』巻六 - 220頁、巻廿 - 524頁・528頁・529頁
  43. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 516頁
  44. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 532頁
  45. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 406頁
  46. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 216頁
  47. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 217頁
  48. ^ 『大日本古文書』巻六 - 558頁
  49. ^ a b 『大日本古文書』巻廿二 - 118頁・262頁
  50. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 411頁
  51. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 426頁
  52. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 427頁、巻廿三 - 1708頁
  53. ^ 『大日本古文書』巻十九 - 264頁・558頁
  54. ^ 『大日本古文書』巻十九 - 458頁・468頁、巻廿 - 33頁
  55. ^ 『大日本古文書』巻十九 - 395頁・443頁
  56. ^ 『大日本古文書』巻十九 - 428頁、巻廿 - 5頁
  57. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 159頁・221頁
  58. ^ 『大日本古文書』巻十九 - 372頁、巻廿 - 200頁・237頁
  59. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 114頁・123頁・184頁・241頁・306頁
  60. ^ 『大日本古文書』巻十九 - 357頁、巻廿 - 92頁・99頁
  61. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 459頁・491頁
  62. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 249頁・323頁・385頁・400頁
  63. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 403頁、巻廿一 - 293頁・363頁
  64. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 385頁・391頁、廿一 - 344頁・467頁・581頁・589頁
  65. ^ 『大日本古文書』巻廿 - 350頁、巻廿二 - 4頁・7頁
  66. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 453頁・553頁
  67. ^ 『大日本古文書』巻廿一 - 328頁・436頁、巻廿二 - 159頁・174頁
  68. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 142頁
  69. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 96頁
  70. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 61頁・236頁
  71. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 382頁
  72. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 446頁・477頁
  73. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 438頁・561頁、巻廿三 - 53頁
  74. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 438頁・561頁、巻廿三 - 38頁・95頁
  75. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 553頁、巻廿三 - 19頁・72頁
  76. ^ 『大日本古文書』巻廿二 - 551頁、巻廿三 - 7頁・56頁
  77. ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 328頁・405頁
  78. ^ 『大日本古文書』巻廿三 - 375頁・385頁・389頁・503頁・509頁

参考文献

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