惟恒親王
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惟恒親王 | |
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続柄 | 文徳天皇皇子 |
全名 | 惟恒(これつね) |
身位 | 三品・親王 |
出生 |
不明 |
死去 |
延喜4年4月8日(904年5月25日) |
父親 | 文徳天皇 |
母親 | 藤原今子 |
役職 |
常陸太守 上野太守 弾正尹 兵部卿 |
惟恒親王(これつねしんのう、生年不詳 - 延喜4年4月8日(904年5月25日))は、平安時代前期の皇族。文徳天皇の皇子。官位は三品・兵部卿。
経歴
[編集]貞観3年(861年)同母妹(礼子内親王)とともに名を定められて親王となる。貞観13年(871年)四品に叙せられ、貞観14年(872年)常陸太守に任ぜられる。清和朝末の貞観17年(875年)治部卿兼上野太守となる。
陽成朝に入ると元慶元年(877年)弾正尹に遷る。元慶8年(884年)光孝天皇の即位後に兵部卿に転じると、その後宇多・醍醐朝にかけて20年の長きに亘ってこれを務めた。また、時期は不明ながら三品に至っている。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 貞観3年(861年) 4月25日:為親王
- 貞観13年(871年) 正月7日:四品
- 貞観14年(872年) 2月29日:常陸太守
- 貞観15年(873年) 4月3日:帯剣
- 貞観17年(875年) 正月13日:上野太守。2月27日:治部卿、上野太守如元
- 元慶元年(877年) 10月18日:弾正尹、上野太守如元
- 元慶6年(882年) 5月11日:兼上総太守。2月14日:上野太守
- 元慶8年(884年) 3月9日:兵部卿
- 時期不詳:三品
- 延喜4年(904年) 4月8日:薨去(兵部卿三品)[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]- ^ 『日本紀略』