愛宕神社 (亀岡市)
愛宕神社 | |
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本殿(重要文化財)の覆屋 | |
所在地 | 京都府亀岡市千歳町国分南山ノロ1 |
位置 | 北緯35度02分27.76秒 東経135度35分13.03秒 / 北緯35.0410444度 東経135.5869528度座標: 北緯35度02分27.76秒 東経135度35分13.03秒 / 北緯35.0410444度 東経135.5869528度 |
主祭神 |
火産霊神 伊邪那美神 大国主神 |
社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
創建 |
(伝)継体天皇元年(507年?) (創祀は神代と伝える) |
本殿の様式 | 一間社流造 |
別名 | 阿多古神社・元愛宕・愛宕の本宮 |
例祭 | 10月21日 |
主な神事 | 鎮火祭(4月24日) |
地図 |
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都府亀岡市千歳町国分にある神社。旧称は「阿多古神社」。式内社で、旧社格は村社。
社伝では愛宕山の愛宕神社(京都府京都市)は当社からの勧請とし、そのため「元愛宕」や「愛宕の本宮」とも称される。愛宕山の愛宕神社同様に「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとして信仰される。
祭神
[編集]本殿の祭神は、次の3柱。
歴史
[編集]概史
[編集]社伝によると創祀は神代で、山を神籬として祀られたという。その後、継体天皇元年(507年?)に社殿が創建されたと伝える。
『日本三代実録』では、「阿当護神(愛当護神)」の神階が貞観6年(864年)に従五位下、貞観14年(872年)に従五位上、元慶3年(879年)に従四位下に昇叙されたと見える。また、『延喜式』神名帳には丹波国桑田郡に「阿多古神社」として式内社の記載がある。これらは、いずれも当社に比定される。
当社付近には丹波国分寺が位置するが、その衰退で僧侶が当社に奉仕したこともあり、神仏習合によって仏像が立てられ「愛宕権現」と称されたという。現在、その仏像は当社西にある養仙寺に移されている。
また社伝では、当社の分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷され、これが現在の愛宕山の愛宕神社になるとしている。そのため「元愛宕」「愛宕の本宮」とも称されるほか、社殿には当社が全国の愛宕神社の総本山であると記載してあり、鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」と記している。
神階
[編集]- 貞観6年(864年)5月10日、正六位上から従五位下 (『日本三代実録』) - 表記は「愛当護神」。
- 貞観14年(872年)11月29日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「阿当護神」。
- 元慶3年(879年)閏10月24日、従五位上から従四位下 (『日本三代実録』) - 表記は「阿当護神」。
境内
[編集]本殿は鎌倉時代後期の1280年頃の造営で、国の重要文化財に指定されている。
そのほか、次の木々が名木に指定されている。
- イヌマキ - 樹高19メートル、胸高幹周2.73メートル。亀岡の名木指定。
- 大スギ - 樹高29メートル、胸高幹周5.07メートル。亀岡の名木指定。
- モミ - 樹高32メートル、胸高幹周3.6メートル。亀岡の名木指定。
また、境内の森は「ムササビの生息する森」として亀岡の自然100選に選ばれている。
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鳥居
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社号標
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イヌマキ
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大スギ
摂末社
[編集]- 八幡宮神社 - 祭神:応神天皇
- 豊受比賣神社
- 火防神社 - 祭神:迦倶槌神
- 稚産霊神社
- 埴山姫神社
- 少毘古那神社
- 蛭子神社
- 高良玉垂大神 - 祭神:武内宿禰
- 天満宮社
- 不詳 - 祭神:萩森大明神、宇都宮大明神
- 不詳 - 祭神:大山咋神、大山祇神
愛宕灯篭
[編集]亀岡市内には愛宕灯篭がいくつかあり、石灯篭内部にある燭台は町内を回覧板のように各家に回っていく。 この燭台は手提げ式の灯篭になっており、各家は回ってきた燭台に火を灯して次の家に回す。[1]
主な祭事
[編集]- 鎮火祭(4月24日)
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 本殿(附 古材17個、屋根葺替帳2冊) - 昭和52年1月28日指定[2]。
現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
周辺
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 境内説明板
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「國分愛宕神社」『京都府史蹟勝地調査會報告 第五冊』京都府、1923年。 - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。
外部リンク
[編集]- 阿多古神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)