愛宕通祐
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 寛政11年1月17日(1799年2月21日) |
死没 | 明治8年(1875年)12月2日[1] |
官位 | 従二位、権中納言 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 中院家→愛宕家 |
父母 |
父:中院通知 養父:愛宕通典、養母:桜井敦子(桜井供敦の八女) |
妻 | 清水善子(清水正久の娘) |
子 | 通致 |
愛宕 通祐(おたぎ みちやす[2]/みちます[1])は、幕末の公卿。官位は権中納言。
経歴
[編集]山城国京都で権大納言・中院通知の子として生まれ、権中納言・愛宕通典と敦子(桜井供敦八女)の養子となる[2][1]。文化8年(1811年)9月に元服し左京権大夫に任じられた[1]。侍従、参議、右近衛権中将を歴任し、慶応3年12月(1868年1月)に権中納言に任じられた[1]。
また、安政5年(1858年)廷臣八十八卿列参事件に子の通致と共に加わった[1]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。