愛知文化講堂
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座標: 北緯35度10分15.6秒 東経136度54分34.9秒 / 北緯35.171000度 東経136.909694度 愛知文化講堂(あいちぶんかこうどう)は愛知県名古屋市にあったコンサートホール。
概要
[編集]1951年(昭和26年)に締結し1952年(昭和27年)に発効したサンフランシスコ講和条約を記念する事業の一環として計画・建設された愛知県文化会館に内包する3つの文化施設の一つとして、1958年(昭和33年)6月17日に開館した[1][2][3][注 1][注 2]。愛文ホールの愛称で呼ばれていた[6]。
1438席収容のワンスロープであった。主に演劇、クラシック演奏会などに対応できたが、愛知県芸術劇場の完成と建物の老朽化で1992年(平成4年)10月15日に閉館した[6]。
エピソード
[編集]1960年(昭和35年)6月6日に東海ラジオが『太陽がいっぱい』の映画試写会を行った(東海ラジオの第1回映画試写会でもあった)[7]。当時、ラジオ局が映画試写会を催す事は意表をついた着想だと言われたが、好評だったため、全国のラジオ局でも行われるようになった(東海ラジオ放送二十年史より)[7]。1976年(昭和51年)から1991年(平成3年)まで毎年5月下旬に「ミス・ナゴヤ」コンテスト(名古屋タイムズ社など主催、名古屋市など後援)が開催されていた[8][9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当施設を内包していた愛知県文化会館は、その計画段階から当施設のほか美術館、図書館の合わせて3つの文化施設がいわば三位一体で構築される格好となっていた。1954年(昭和29年)に文化会館全体の着工を迎え、まず当施設に先立つこと3年前〔1955年(昭和30年)〕に美術館が竣工そして開館し、そして当施設開館の翌年〔1959年(昭和34年)〕には図書館が開館している《図書館については当施設開館の翌月〔1958年(昭和33年)7月〕に着工》[4][2][3][5]
- ^ 同じ年に大阪のフェスティバルホールが、3年後〔1961年(昭和36年)〕には東京文化会館が、それぞれ開館している。また、神奈川県立音楽堂〔1954年(昭和29年)11月開館〕は開館から既に3年半あまり経っていた
出典
[編集]- ^ 中日新聞社開発局 1976, p. 68.
- ^ a b 石崎尚. 愛知県文化会館美術館における展示と収集 (PDF) (Report). 愛知県美術館. p. 31. 2024年12月9日閲覧。
『研究紀要』27号(2020年度)より…愛知県美術館Webサイト内研究紀要・教育普及映像等ページから
- ^ a b 愛知県図書館開館30周年記念誌 (PDF) (Report). 愛知芸術文化センター 愛知県図書館. 15 March 2023. pp. 2–3. 2024年12月9日閲覧。
愛知県図書館Webサイト内図書館概要~県図書館の発行物ページから
- ^ “開館から50年~愛知県文化会館 愛知図書館”. 愛知芸術文化センター 愛知県図書館 (2009年11月13日). 2024年12月9日閲覧。
- ^ 事業年報 2023年度版(2022年度事業報告書) (PDF) (Report). 愛知芸術文化センター 愛知県図書館. 10 November 2023. p. 1. 2024年12月9日閲覧。
愛知県図書館Webサイト内図書館概要~県図書館の発行物ページから
- ^ a b c 武藤隆 2013, p. 45.
- ^ a b 東海ラジオ放送 1979, p. 167.
- ^ ミス・ナゴヤに森口保子さん ロスへ美と知性の使節『中日新聞』1976年5月30日18面
- ^ ミスナゴヤに高村さん『中日新聞』1991年5月29日30面
参考文献
[編集]- 東海ラジオ放送『東海ラジオ放送二十年史』東海ラジオ放送、1979年。
- 中日新聞開発局 編『愛知百科事典』中日新聞社、1976年。
- 武藤隆「愛知県文化会館」『あいち建築ガイド』美術出版社、2013年。ISBN 9784568600414。
- 『第140号愛知文化講堂開館』 - 愛知県制作の当時の県政ニュース映画
外部リンク
[編集]- 『愛知県政ニュース』より当施設関連ニュースを含む制作分 - 「あいちインターネット情報局」(愛知県政策企画局広報広聴課)YouTube内公式アカウントより
- 公会堂歴史小話 - 岡谷鋼機名古屋公会堂(名古屋市公会堂)Webサイトより《「9. 時代と共に新たなジャンルへ」項のところで当施設が登場》