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戸田繁子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸田とだ 繁子しげこ
生誕 (1908-07-31) 1908年7月31日
出身地 日本の旗 日本 島根県
死没 (2019-03-31) 2019年3月31日(110歳没)
学歴 東京音楽学校第四臨時教員養成所卒業
ジャンル クラシック
職業 音楽教師

戸田 繁子(とだ しげこ、1908年7月31日[1] - 2019年3月31日[2])は、日本の音楽教師[3]広島市で音楽教室「杉の子会」主宰[4]。作曲家糀場富美子[5]、指揮者大植英次[3]らを育てた。

人物

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島根県飯南町出身[3]。1923年に高等小学校を卒業、島根県女子高等師範学校に入学した[4]。1927年に卒業後、島根県飯石郡吉田村小学校に赴任するが、さらに学ぶために松江市の飯田忠義の元に通いレッスンを受ける。1929年4月、東京音楽学校に設置された教員養成所の試験に合格[6][注釈 1]。翌1930年5月から1932年3月まで、同校でピアノを遠山つや、声楽を田中伸江(ピアニスト田中希代子の母)に学ぶ[4]

1932年に卒業後は故郷に帰り、島根県立今市高等女学校(現・出雲高等学校)に勤務[4]。当時盛んになりだした「音感教育」を学ぶため、大阪音楽大学創立者永井幸次の研究会に通い、1936年にはより近い兵庫県立淡路高等女学校に転勤して通い続けた[4]。音楽教育者佐々木幸徳(基之)[注釈 2]からも指導を受けた[4][3]。戦時下となり同年奈良県立高田高等女学校に移る[4]。終戦後1947年から広島県立上下高等学校に務め、佐々木が提唱した分離唱を主体とした合唱指導を行った[4][注釈 3]。当時の教え子に俳優平幹二朗がいる[3]

1958年に退職して広島県広島市佐伯区吉見園に移り住み、就学前の幼年時から始める音感教育のために音楽教室「杉の子会」を開く[4][3]。以来50年にわたり100歳を超えてもレッスンを続け、教え子は小学1年から通った作曲家の糀場富美子、5歳から通った指揮者大植英次ら、500人にのぼった[3]

2019年4月に没した後、愛用のグランドピアノが2020年に故郷の島根県飯南村に寄贈された[3]

エピソード

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大植英次は渡米してレナード・バーンスタインに師事した時、優れた音感をどこで学んだか聞かれ、広島の音楽教室でと答えてバーンスタインを驚かせた。1985年にバーンスタインが広島平和コンサートで来日した際、戸田と面会し「あなたは偉大な音楽教師だ」というメッセージを贈った[3]

参考文献

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  • 戸田繁子」『音楽年鑑 昭和45年版』音楽之友社、1970年、256頁。NDLJP:2526523https://dl.ndl.go.jp/pid/2526523/1/220 
  • 芸術研究振興財団, 東京芸術大学百年史編集委員会 編『東京芸術大学百年史. 東京音楽学校篇第2巻』音楽之友社、2003年3月。 
  • 佐々木基之『耳をひらいてこころまで:分離唱のすすめ』音楽之友社、1987年。 

脚注

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注釈

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  1. ^ 戸田が合格したのは東京音楽学校に設置された、音楽科の第四臨時教員養成所。当時は他に第一は東京高等師範学校内に設置された国語漢文科、英語科、数学科、歴史地理科、体操科。第二は広島高等師範学校内に設置された英語科、物理化学科、博物科。第三は奈良女子高等師範学校内に設置の数学科と理科があった。第四が設置されていたのは1922年4月から1932年3月までであった[7]
  2. ^ 佐々木基之(本名・幸徳)は1901年大阪生まれ。1924年東京音楽学校乙種師範科卒業[8]、東京金富小学校に赴任。1937年「分離唱」を創案。小学校を退職し、分離唱を基調としたピアノと合唱指導にあたる[9]。1996年没[10]
  3. ^ 分離唱は、和音の中の1つの音を分離して歌うことで、音感覚を簡単に育成できるとした指導法[11]

出典

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  1. ^ 音楽年鑑 1970.
  2. ^ 白井朝香 (2019年4月1日). “新しい元号が発表される前に”. Facebook. 2023年5月29日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 音楽を生涯の友に:故戸田繁子さん広島で指揮者大植さんら指導. 『中国新聞』2020年11月19日12面
  4. ^ a b c d e f g h i 東京芸術大学百年史 2003, pp. 1066–1068, 戸田繁子「第四臨教とその後」.
  5. ^ 原田康夫、糀場富美子 (2005-08). “原田康夫のオー・ペラペラ対談(第26幕)ゲスト 作曲家・東京音楽大学教授 東京藝術大学講師 糀場富美子 広島レクイエム誕生秘話、バーンスタインが認めた作曲家”. ビジネス界 (広島: 展望社) 25 (8): 39-41. 
  6. ^ 東京芸術大学百年史 2003, p. 279.
  7. ^ 東京芸術大学百年史 2003, pp. 1052–1053.
  8. ^ 第14部 卒業生及修了生」『東京音楽学校一覧 従大正13年 至大正14年』東京音楽学校、1924年、97頁。NDLJP:941215https://dl.ndl.go.jp/pid/941215/1/55 
  9. ^ 佐々木 1987, 奥付.
  10. ^ 佐々木, 幸徳, 1901-1996”. Web NDL Authorities. 国立国会図書館. 2023年4月18日閲覧。
  11. ^ 佐々木 1987, pp. 22, 118.