折渡トンネル
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(上段)1924年に開通した下り線トンネル (下段)複線化工事に伴い1972年に開通した上り線トンネル | |
概要 | |
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路線 | 羽越本線 |
位置 | 秋田県由利本荘市 |
現況 | 供用中 |
起点 | 秋田県由利本荘市(北緯39度27分30.5秒 東経140度06分09.8秒 / 北緯39.458472度 東経140.102722度) |
終点 | 秋田県由利本荘市(北緯39度28分25.0秒 東経140度05分49.1秒 / 北緯39.473611度 東経140.096972度) |
運用 | |
開通 |
1924年(大正13年)4月 (下り線) 1971年(昭和46年)11月 (上り線) |
所有 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
技術情報 | |
全長 |
1,438m(下り線) 1,705m(上り線) |
軌道数 | 1(単線) |
軌間 | 1,067mm |
電化の有無 | 有 (交流20000V) |
折渡トンネル(おりわたりトンネル)は、秋田県由利本荘市の東日本旅客鉄道(JR東日本)羽越本線羽後岩谷駅 - 折渡駅間に所在する鉄道トンネルである[1]。単線トンネル2本で構成され、下り線トンネルは全長1,438メートル、上り線トンネル(新折渡トンネル)は全長1,705メートルである。
日本で初めてシールド工法が採用されたトンネル[2]として知られている。
概要
[編集]羽越北線の開業に向けて掘削されたが、その開業が大幅に遅延するほどの難工事であった。後年、複線化に伴って単線トンネル1本が新たに掘削されたが、こちらは技術の進歩などにより、2年ほどで完工している。
歴史
[編集]- 1917年(大正6年)6月1日 - 羽越北線第5工区(羽後亀田-羽後岩谷間)着工[3]。
- 1919年(大正8年)8月31日 - 難工事により橋本進次郎(現在の株式会社橋本店)との工事請負契約を一部解約し、トンネル工事を鉄道省直轄工事とする[4]。
- 1920年(大正9年)9月 - シールド工法での工事着工[5]。
- 1923年(大正12年)3月 - シールド工法から在来工法に切替[4]。
- 1924年(大正13年)
- 1950年(昭和25年) - トンネル内レールを37キロから50キロに交換[8]。
- 1960年(昭和35年)11月 - トンネル内の一部をロングレール化[8]
- 1963年(昭和38年)4月20日 - トンネル内で機関士・機関助士が失神[9]。
- 1969年(昭和44年)10月3日 - 新折渡トンネル起工式挙行[10]。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)9月19日 - 複線化[14]。
その他
[編集]羽後岩谷側坑口近くに、竣工記念碑と殉職者供養碑が建立されている。
出典
[編集]- ^ トンネル紹介1 日本トンネル技術協会、2021年5月30日閲覧
- ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p339 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
- ^ 『羽越北線建設概要』P14-15
- ^ a b “『羽越線折渡隧道工事概要』抜粋”. library.jsce.or.jp. 土木学会. 2021年5月30日閲覧。
- ^ a b “土木貴重写真コレクション 折渡(おりわたり)隧道”. library.jsce.or.jp. 土木学会. 2021年5月30日閲覧。
- ^ 『羽越線折渡隧道工事概要』の原文PDF
- ^ “官報. 1924年04月17日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年5月30日閲覧。
- ^ a b 『折渡隧道内の長尺軌条化 秋鉄・11月上旬の着手決る』昭和35年10月25日交通新聞2面
- ^ 『石炭たき過ぎ、中毒 トンネル内の失神事故 急こう配で馬力低下』昭和38年4月22日読売新聞秋田読売
- ^ 『新折渡トンネル 6月完工めざし起工』昭和44年10月4日読売新聞秋田読売
- ^ 『羽越線 新折渡隧道が貫通』昭和46年4月14日交通新聞1面
- ^ 『鉄道土木』昭和47年11月号P57
- ^ 『鉄道総研の技術遺産』
- ^ 『羽越本線 二区間の複線化使用開始』昭和47年9月23日交通新聞1面