敷島紡信号場
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敷島紡信号場 | |
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しきしまぼう Sikisimabō | |
◄敷紡前 (0.6 km) (0.6 km) 地鉄笹津► | |
所在地 |
富山県上新川郡大沢野町 (現・富山市西大沢) |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | 笹津線 |
キロ程 | 11.8 km(南富山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1952年(昭和27年)8月15日 |
廃止年月日 | 1975年(昭和50年)4月1日 |
備考 | 笹津線廃線に伴い廃駅 |
敷島紡信号場(しきしまぼうしんごうじょう)は、富山県上新川郡大沢野町(現・富山市西大沢)にあった富山地方鉄道笹津線の信号場(廃駅)である[注 1]。笹津線の廃線に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃駅となった。
概要
[編集]敷紡前駅より地鉄笹津駅方0.6 km地点に位置する信号場で、本線と敷島紡績笹津工場(現・シキボウ富山工場)に続く専用線の分岐地点であった[1]。
笹津線の西側に位置していた工場より出た線路は、本線に向かって南方面に進み当信号場にて東側から来た本線と合流していた[1]。
歴史
[編集]- 1952年(昭和27年)8月15日:富山地方鉄道笹津線大久保町駅 - 地鉄笹津駅間延伸開通(笹津線全通)に伴い開設[2][3][4]。
- 1975年(昭和50年)4月1日:笹津線の廃線に伴い廃止となる[2][3][4]。
構造
[編集]廃止時点で、2線を有する単線分岐型の信号場であった[1]。本線との分岐部分自体は単純な単線分岐型であったため、列車交換及び待避は不可能であったが、分岐後の工場までの区間に機回し及び列車交換設備を有していた[1]。
当専用線では、デキ6500形電気機関車デキ6502号機が敷島紡績笹津工場 - 地鉄笹津駅間の貨物列車を牽引していた[1]。同機は工場内の入換も担当し[1]、路線の晩年は当専用線専業となった[1]。貨物列車は1日7往復運行されていた時期もあったが[1]、廃止時は1日1往復のみの運行であった[1]。
周辺
[編集]信号場跡
[編集]2007年(平成19年)9月時点では、当信号場跡附近からの線路跡が富山県道196号笹津停車場線となっていた[5]。2008年(平成20年)時点[6]、2009年(平成21年)11月時点でも同様、2車線の道路であった[7]。この道路は地鉄笹津駅跡附近まで続いていた[6]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 当信号場について、書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)「廃線停車場一覧」では「敷島紡貨物駅」としている(211ページ)。また、書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年10月発行)では「(分岐点)」とし、「便宜上のもの」と注釈を付ける(38ページ)。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング、2008年7月発行)25,28-29ページより。
- ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年10月発行)38ページより。
- ^ a b 書籍『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年5月発行)165ページより。
- ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)211ページより。
- ^ 書籍『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年5月発行)80-83ページより。
- ^ a b 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房、2008年7月発行)83ページより。
- ^ 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年12月発行)43-45,47ページより。
関連項目
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